翌日、大連中心部からバスで約1時間に位置する旅順を訪れた。日露戦争を前にロシアはここに大規模な要塞(ようさい)を築き、艦隊を配備。要塞を落とそうと総攻撃をかけた日本との間で激戦となり、日本軍の死傷者も約5万9000人に上った。
海沿いの道の車窓には基地を囲む金網が続く。その建物の裏には港に停泊する軍艦が見えた。ここが今は中国海軍の基地となっている。ガイドによれば「旅順は軍人とその関係者が多い。以前は外国人は入ることができなかった」という。
しばらくして、なだらかな稜線(りょうせん)の山が見えてきた。市街地の背後にあり、旅順港を見渡すことができる「203高地」だ。標高が203メートルであることからこの名前が付いたとも言われる。日本軍が肉弾戦を繰り広げ、多くの命が奪われたかつての戦場の面影はなく、今は深い緑色に覆われている。
駐車場でバスを降り、アスファルトで整備された歩道を10分ほどの山頂まで登った。クラクションが鳴り響いていた大連とは打って変わり、人とすれ違うこともあまり無く平和な静けさが広がっている。木々の間をリスが駆け回ったり、野鳥が舞ったりする姿にも出会った。うっそうとした木々による緑のトンネルを抜け、山頂の小さな広場に出た。
「旅順港は見おろせるか」「見えます。各艦一望のうちにおさめることができます」―。山頂に立ち、思わず「坂の上の雲」にあるフレーズをつぶやいた。激戦の末に203高地を占領後、満州軍総参謀長の児玉源太郎大将が山頂にたどり着いた将校と電話で交わす場面だ。
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