中山広場は直径213メートルもある大きな円形広場だ。大連の街の道路は広場を中心にして放射状に伸びている。中心部は石畳で、広場の端の植え込みに腰を下ろして休んでいる人もいて、憩いのスペースのようだ。
広場の中心まで歩き、ゆっくり振り向きながら周りを見回す。旧ヤマトホテル(大連賓館)や旧横浜正金銀行大連支店(中国銀行大連分行)など、日本が統治していた1910年代ごろに建てられた欧風の建物に囲まれている。かつて大連の中でもひときわ目立った存在だったのだろうが、今は背後から超高層ビルに見下ろされ、その重厚感に比べて小さく見える。
旧ヤマトホテルは日本の国策会社南満州鉄道株式会社(満鉄)が経営し、多くの要人が利用した。ビルの1階は周囲より高く作られており、入り口の回転扉をくぐって大理石のエントランスに入ると、大きなシャンデリアが目に止まった。2階には清朝最後の皇帝溥儀が泊まったという部屋もある。派手な黄色い掛け布団のツインベットと細かい木彫りの竜のような装飾が施されたタンスが置かれている。ところが、ベッドが部屋のほとんどを占領し、皇帝の泊まる部屋にしては小さい印象を受けた。
夕食は市内のレストランで中華料理。皿が次々に運ばれてきたが、特に印象に残ったのは定番の北京ダックだった。コックが大皿をカートでテーブルの側まで運んできた。焦げ色のまるまるとしたアヒルが乗っている。良い茶色だ。急いでバッグからカメラを取り出した。コックが細長いナイフを使い、皮と肉をそり落とすように切り分けてくれた。
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