中国の大連は20世紀の日本統治時代に建てられたレトロな建物が多く残る。歴史好きには魅力的な土地だ。少し足を延ばせば、日露戦争の激戦地で、作家司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にも描かれた旅順。記者が一度行ってみたいと思っていたところ機会を得て、大連と旅順を巡る旅に出た。
(2016年9月 時事通信社長野支局・真勢春海)◇ ◇ ◇
「富山きときと空港」から2時間弱のフライトで大連周水子国際空港に到着。飛行機の窓から、空港の敷地ぎりぎりまで立ち並ぶ高層マンションや家屋が見え、都会の大通りに降りていくような感覚だ。空港カウンターの若い男性職員は、受け取ったパスポートを見ながらため息ばかりをついていて、愛想が悪い。最初に出会った中国人がこうだと、これから先の旅が少し不安になる。
バスに乗り込むと、最初の目的地、大連中心部にある中山広場に向かった。バスの中では、男性ガイドが流ちょうな日本語で大連の概要を説明してくれた。
大連は遼東半島南端に位置し、日本など外国から製造業やIT企業が多く進出している工業都市。1898年にロシアが租借し、遠い所を意味する「ダリニー」と名付けられ、日露戦争(1904~05年)後に日本の租借地となって、大連と改名された。
ガイドは「治安は良い方ですが、道路では気を付けてください」とさらっと脅すように言った。車窓から見ると確かに車の運転は荒いようだ。周りを気にすることなく車線変更を行う車両、歩行者もすぐ側に迫る車を無視して横断している。街中には先を争う車のクラクションの音が鳴り響く。車も人も、とにかく多い。
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