◇「平和考える機に」
太平洋戦争の火ぶたを切る奇襲攻撃の舞台となった真珠湾を安倍晋三首相が訪れ、犠牲者を慰霊する。75年前の作戦に参加した旧日本兵は「遺恨を乗り越え、平和を問い直す機会にしてほしい」との思いを強くする。
◇「だまし討ち」悔しい
「日本人の負い目じゃないだろうか」。真珠湾攻撃で空母「加賀」に乗り組み、艦上攻撃機の整備に携わった長沼元さん(96)=福岡市南区=は「宣戦布告が攻撃の後になり、『だまし討ち』と言われているのが残念」と悔やむ。
福岡市の農家で育ち、21歳だった1941年に徴兵された。11月中旬、行く先を告げられぬまま九州の港を出発。択捉島の単冠湾を経由し航行中の同月末、艦長が乗組員を集めた。「この部隊は12月8日、真珠湾を攻撃する」。冗談かと思ったが、艦長は「知っている者は君たちと天皇陛下、作戦本部だけだ」と続けた。ついに戦争が始まると実感し、無事に帰れるのかという不安が募った。
◇敵兵と目合う
作戦当日は午前4時ごろ起床し、次々と飛び立つ攻撃機に手を振った。約50分後、「奇襲成功」との連絡に「ワーッ」と歓声と拍手が上がった。その夜、特別にワインや菓子が配られたという。
翌年6月のミッドウェー海戦。突っ込んできた米軍機のパイロットと甲板上で目が合い、「若い者同士で憎しみはない。友達になれたかもしれないのに」と思ったことが忘れられない。爆風で両手足にやけどを負い、兵役免除で福岡に戻った。
「当時はみんなと一緒で高揚感があったが、作戦は正々堂々とすべきだった」と長沼さん。「オバマ大統領が広島に来たから、安倍首相も行きやすくなった。慰霊は大事だ。日米関係は前向きに進めないといけない」と話した。
◇恐怖隠し鼓舞
空母「瑞鶴」の航空整備兵として真珠湾攻撃に参加した川上秀一さん(98)=岡山県笠岡市=は「慰霊は素晴らしいこと。平和を考える機会にしたい」と歓迎する。
攻撃前夜の41年12月7日、戦闘機を飛行甲板に並べ終えトイレに向かうと、若い兵隊がガタガタと体を震わせていた。「戦争には勝てるんでしょうか」。整備班長の川上さんは自身の怖さを押し隠し、「しっかりせえ。勝ったようなもんじゃ」と背中をたたいて鼓舞した。8日未明、次々と飛び立つパイロットを「戻って来いよ」と願いながら見送った。
川上さんは「戦争はしちゃいけん。勝っても負けても得るものは一つもない」と語る。「歴代総理で初めて慰霊に行く。もっと早くチャンスがあればよかったが、素晴らしい決断だと思う」(2016年12月23日配信)
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