サッカーの西ドイツ代表として1990年ワールドカップ(W杯)優勝、82年と86年の準優勝に貢献し、93年のJリーグ開始時にジェフ市原(現千葉)でも活躍したピエール・リトバルスキー氏(56)が、時事ドットコムのインタビューに応じた。千葉のクラブ設立25周年記念OB戦に出場するため来日。古巣ジェフへエールを送るとともに、Jリーグや日本代表、ブンデスリーガで活躍する日本人選手について、ブンデスリーガのウォルフスブルクでスカウティング部長を務める自身の近況などを語った。(聞き手・時事ドットコム編集部 舟木隆典)
―ジェフが設立25周年を迎えた。
25周年と聞いて、率直にびっくりした。25年もたったんだ、と。それと同時に、今もジェフユナイテッドというクラブが存在し続けていることが素晴らしい。残念ながらJ2で、トップリーグから後退している状況だが、私が所属していた当時と比べると、比べ物にならないくらい非常にすばらしいクラブに成長している。マネジメントもそうですし、施設も。新しいスタジアム(千葉市・フクダ電子アリーナ)も、サッカーが楽しめる最高の環境が整っている。
―今後50年、100年という先に向かって、ジェフはどんな発展が必要か。
Jリーグ開始の頃は、クラブの独自性、カラーを出すことはなかなか難しい状況だった。25年を経て、今後はようやくジェフユナイテッドというクラブのカラーを出して、歴史を作り上げていくところに達しているのではないか。今後も頑張っていってほしいと思う。
―ジェフのアイデンティティとは。
Jリーグの狙いとしては、いろんな外国人選手をいろんなクラブに割り当てていこうという考えがあったようだ。私を呼んでいただいたこともあり、ジェフユナイテッドには欧州のサッカー、特にドイツのゲルマン魂と呼ばれるような、ピッチ上で必死に戦う姿勢を植えつけようと思っていたのではないか。同時に、(ジェフの前身の)古河電工の選手、奥寺康彦さんもそうだし、非常にサッカーが分かっている、技術が高い点もジェフのイメージ。ジェフの育成部門には当時の技術レベルの高い選手がいた。阿部勇樹選手、佐藤勇人・寿人選手ら代表選手が輩出した。
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