国語辞典には、発行する出版社や辞書による言葉に対するスタンスの違いという特徴があります。それは、新語や新たな用法を取り込み「言葉の実態や現状」を重視すべきか、「言葉に対する規範性」を重視するべきかという、言葉に対するスタンスの違いです。
『三省堂国語辞典』の編者であった故・見坊豪紀先生は、これを「辞書かがみ論」と言っています。辞書は言葉を写す「鏡」であると同時に、言葉を正す「鑑」でもあるというのです。「鏡」の部分を重視するなら、辞書は言葉の諸相を記述するものになるでしょうし、「鑑」であるべきと考えるなら、辞書は言葉の手本となるべき規範を記述するものになるでしょう。
私は、言葉は時代と共に変化するものだという考え方です。辞書「鏡」論の方ですね。それは、用例中心主義の『日国』の編集に長く携わってきたことも理由にあると思います。
言葉は誤用によって変化します。「みすずかる」という言葉があります。「信濃の国」の枕詞です。どんな辞書にも載っていますが、「みこもかる」の誤用です。江戸時代に賀茂真淵が間違えたことで、間違いが定着しました。長野の銘菓「みすず飴」はおいしいのですが…。軽井沢にある出版健康保険組合の保養施設は「すずかり」というのですが、これも困ったことになります(笑)。
『悩ましい国語辞典』のタイトルに使った「悩ましい」という言葉も変遷しています。「悩ましい」は、従来「官能が刺激されて心が乱れる思い」という意味で使われ、その意味しか載せていない国語辞典がほとんどでした。しかし、最近は「どうしたらいいか悩んでいる」という意味の用法が広まっています。では最近生まれた新しい用法かというと、『日国』には苦悩の意味の方に古い用例があるのです。苦悩→官能→苦悩という歴史をたどっているわけです。
現在は誤用とされている言葉や用法でも、古い用例を見てみると誤用とは言い切れないものが数多くあるのです。また、誤用だったものが、多くの人が使うことによって誤用とされなくなることもあります。
でも、故事来歴や明確な出典がある言葉を誤用したり、変化させたりするのはまずいと思います。「他校で起きたいじめ問題に関して、決して他山の石とせず…」というのは困るんです。他山の石とは「自分にとって戒めとなる他人の誤った言動」ですから、ここでは「他山の石として」でなければいけません。
携帯電話会社のCMで「断トツの最下位から、つながりやすさNo.1へ」というのがありましたが、あれも困る。「断トツ」は「断然トップ」の略なのですが(笑)。語源がわからなくなったことで正しい意味まで忘れられたようです。
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