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元特攻隊員の証言

3人乗り九七式艦上攻撃機

 私は当時、九七式艦上攻撃機の三号機に乗っていました。三号機は一番新しい機体でしたけども、スピードはそう速くありませんから、米軍機のグラマンあたりに捕まったらもうおしまいですね。

 九七式艦攻は前から操縦員、偵察員、電信員の順に乗る3人乗りでした。私は予備学生ですから海軍少尉です。操縦員が鹿児島出身で乙種予科練生だった梅本満二飛曹で、電信員は名古屋出身の甲13期予科練生で前田長明二飛曹といいました。

 私が(数え年で)22歳、操縦員が20歳。電信員は18歳で、まだかわいい坊やでしたね。出撃前日も桜島周辺で特攻訓練を2時間くらい3人でやりまして、夜は私は士官宿舎、彼らは予科練宿舎でそれぞれ過ごしました。

 私は同期生の士官宿舎の連中と過ごしていましたが、やっぱり送る方の人は気を遣って、最後の晩は一人にさせた方がいいという気持ちがあったと思います。

 遺品の整理をしたり、遺書を書いたりして、覚悟を決めるときですからね。私も遺書を書きましたが、私たちの遺品や遺書を置いていた宿舎の近くの家が空襲で焼けてしまったので、何も返ってきませんでした。

 遺書に書いたのは「あす出撃して立派にお国の役に立つような戦果を上げたいと思う」とか、月並みなことですね。やはり人に見られるので女々しいことは書けないわけです。みんなそうでしたけども、やはり開封されることを覚悟しないといけませんから、どうしても紋切り型の文章になってしまうんですよね。

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