太平洋戦争開戦後、旧日本海軍が秘密裏に完成させ、フィリピン・レイテ突入作戦で進撃中に米軍機の集中攻撃を受けて沈んだ悲劇の巨大戦艦「武蔵」。米艦隊との決戦を想定し、第一号艦「大和」の姉妹艦として計画された第二号艦は、民間の三菱重工業長崎造船所で建造された。
明治以降、近代化を急ぐ日本の産業を支えてきたこの造船所には、1909(明治42)年以降、今も稼働し続ける造船用の巨大クレーン「ジャイアント・カンチレバークレーン」や「第三船渠(ドック)」など、日本政府が2015年の世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」の構成資産もある。
戦後70年を機に、技師や作業員らが超人的な努力を重ね、心血を注ぎ込んだ武蔵の軌跡をたどろうと、造船所内の史料館を訪ねた。
取材:時事通信社佐賀支局・中出範尚
編集:時事ドットコム編集部
(2015年6月22日)
JR長崎駅から車で約10分。三方を山に囲まれ、運河のように狭い長崎港の穏やかな海を横目に走ると、背の高い塀の奥に多数のクレーンや工場群が見えてくる。
数々の商船や旧日本海軍の艦船を製造してきた長崎造船所。現在も海上自衛隊のイージス艦や最新鋭の護衛艦などを建造する。このため、セキュリティーは厳重で撮影も限定される。警備員の指示に沿って、クレーンや大きな工場の谷間を車で抜けていくと、史料館が見えてきた。
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