JR東海の葛西敬之名誉会長は、東京・内幸町の日本記者クラブで講演し、2014年10月に開業50年を迎えた東海道新幹線の高速、大量安定輸送の画期的な思想や、27年に東京(品川)―名古屋間が開業予定のリニア中央新幹線の高度な安全性などについて語った。その詳報をお伝えする。講演は12月12日に行われた。
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今年、東海道新幹線は開業50周年を迎えた。私が入社したのは1963年。開業の1年前だった。私自身、東海道新幹線とともに歩んできたと申し上げていいと思う。
東海道新幹線とは何だったのかと言うと、それは鉄道輸送の革命だった。革命性と言うか、ユニーク性には2つポイントがある。一つは、高速旅客電車専用の広軌の軌道持っていること。貨物列車や鈍行列車とかがなく、平面交差の踏切がないため、踏切事故を初めから除外して設計できることが特性だ。
もう一つは専用軌道を走るということもあり、ATC(自動列車制御装置)、CTC(列車集中制御装置)という仕組みで列車を集中制御し、あらゆる列車がどこにいるかを把握して、中央指令から指示を出して走らせる、全く衝突事故を起こさないという特性を持っている。これが新幹線の安全性を担保する。当時、時速200キロというのは前人未踏の速度だったので、その速度の中で安全を得るための仕組みとして導入された。
今、世界で高速旅客列車だけが専用軌道を走るのは日本だけだ。ヨーロッパはそうではなく、19世紀に建設された在来線鉄道網、これが広軌なので、新しく造った部分は必ず直通運転でそことネットワークを作るという形になっている。日本は、新幹線は広軌、在来線は狭軌なので、ネットワークはできないという中で、あえて広軌の専用軌を造ったところは卓見だったと思う。
鉄道はフェイルセーフと言って、何か通常と違ったところがあれば、必ず列車は止まる仕組みになっているが、それが働かないところがある。車輪とか車軸とか線路。ここが壊れれば、脱線が起こることになる。そのため東海道新幹線は、それまでの鉄道とは異なり、より徹底した予防修繕方式を取り、あらかじめ精密な点検を行い、時間を決めて、おかしくないものも取り替えてしまうやり方だ。
そこは非常に革命的なところ。成功するかしないかは、開業してみないと分からなくて、国鉄の大部分の技術者、全部の事務系が東海道新幹線に反対だった。新幹線関係の人間を、気違い集団、関東軍と言っていたのを私は入社当時、初めて知った。
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