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市川團十郎さんからの伝言

「市川團十郎」という名の重み

――團十郎さんは1946年に生まれ、53年10月、7歳の時に歌舞伎座で初舞台を踏んだ。

 歌舞伎座が戦後に再開場した時(1951年)、父と母は同棲(どうせい)時代という結構ナウいことでいましたので、私自身があまり表に出ないし、歌舞伎座なんかに行けなかった。歌舞伎を初めて見たのは、確か昭和28(1953)年。松緑おじさんが「蘭平物狂」をやっていて、(いとこの尾上)辰之助君が子役の繁蔵で出ていたのを近所の電器屋のおばさんに連れられて見に行った記憶があります。

 6歳の時に踊りの稽古を始め、初舞台の後は学校が終わると真っすぐ帰って稽古。たまに歌舞伎に出て、楽屋でドタバタ遊んでいました。

――1962年4月、「海老様」と呼ばれた人気役者の父が十一代目市川團十郎を襲名し、江戸歌舞伎の大名跡が約60年ぶりに復活。襲名披露の「助六由縁江戸桜」は、福山かつぎで出演した團十郎さんにとって父との思い出深い演目であり、一つの転機ともなった。

 私が小学生から中学生までは、市川團十郎という名前はなかったので、團十郎というものがどういうものなのか、よく分からなかった。小学校6年生の時に市川新之助という市川家の名前を正式に継がせてもらってから、おぼろげながら分かっていったという状態です。

 父の襲名の時に、今はなくなった湯河原の中西旅館で合宿しました。稽古のテープをかけたりするのを手伝った後、福山かつぎの稽古をつけてくれた。ところが舞台に出ると、箸にも棒にも掛からず、お客様が失笑される。こんなことをやっていちゃいけないなと思ったのが、私としては役者の目覚めというところですね。

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