歌舞伎座(東京・銀座)の新開場を目前にした2013年2月3日、市川團十郎さんが66歳で亡くなりました。12年11月中旬、團十郎さんに歌舞伎の魅力、新しい歌舞伎座への期待などについて、契約紙の正月紙面用にインタビューを行いましたが、話は歌舞伎にとどまらず、日本人の美意識、文化と経済など広範囲に及びました。大きな視点で歌舞伎と日本文化を見詰めていた團十郎さん。追悼の思いを込め、團十郎さんが歌舞伎界へ、私たちへ残した言葉の一つ一つを紹介します。(取材・構成=文化部 中村正子)
※ ※ ※ ※
――2012年10月、團十郎さんは東京・新橋演舞場で屈指の人気演目「勧進帳」の弁慶と富樫を、いとこの松本幸四郎さんと昼夜で交代しながら演じた。「勧進帳」は市川團十郎家のお家芸「歌舞伎十八番」の演目の一つ。團十郎さんと幸四郎さんの祖父、七代目松本幸四郎は弁慶を生涯に1600 回以上演じ、その芸は息子である十一代目市川團十郎、松本白鸚(はくおう、八代目松本幸四郎)、二代目尾上松緑の3兄弟を通して團十郎さん、幸四郎さんに受け継がれた。
公演前の取材で、「負けていられない」と笑顔で語っていたが、これが團十郎さんが舞台で演じた最後の「勧進帳」となった。
2人の弁慶の違いを言うのは難しいですけど、私の弁慶は父と松緑おじさんの両方が重なった弁慶になっていると、自分では思っています。ひょっとして、僕の方が荒事(あらごと)系なのかな。高麗屋(幸四郎家の屋号)さんは、また違う行き方なのかなという風には感じました。出どころは七代目幸四郎という私たちのおじいさん。でも十一代目團十郎、白鸚の叔父さん、松緑叔父さんのはそれぞれ違う。これが歌舞伎の面白さなのかなと思いますし、それぞれの解釈、役者としての表現の仕方は違うんだなと感じましたね。一日のうちに役を代わるので、せりふを間違えてないか、結構気を遣いました。後半、さすがにくたびれて、ちょっと体調を崩していました。
新着
会員限定