宮崎駿監督 引退会見詳報

背筋を伸ばして生きる

―「風立ちぬ」は前作から5年空きましたが、当初、短い間隔で作品を発表する時期もありました。

 1年間隔で作ったこともあります。最初の「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」「隣のトトロ」「魔女の宅急便」も、それ以前に材料がたまっていて、出口があったらバーっと出ていくような状態だった。その後、何を作るか探さなければいけない時代になり、だんだん時間がかかるようになったのだと思います。

 「ルパン三世 カリオストロの城」は4カ月半で作りました。スタッフが全体的に若く、長編アニメーションをやる機会が生涯に一回あるかないかみたいなアニメーターとしての夢を持ち、みんな献身的だった。でも、それをずっと要求するのは無理。年を取るし、所帯を持ちますからね。

 自分自身、1日12~14時間、机に向かっても耐えられる状態ではなくなった。7時間が限度です。この年齢になると、どうにもならない瞬間が来るものです。

―スタジオジブリを立ち上げてから、日本社会がどう変わってきたと見ていますか?

 ジブリを作ったときの日本を思い出すと、経済大国になり、「ジャパン・イズ・ナンバーワン」と言われて浮かれ騒いでいる時代だった。それについて、かなり頭に来ていました。頭に来ていないと「ナウシカ」なんて作りません。「ナウシカ」「トトロ」「魔女の宅急便」は、経済はにぎやかだけど心の方はどうなんだと、そういう思いで作っていたんです。

 ソ連が崩壊し、日本のバブルが弾け、その過程でユーゴスラビアが内戦状態になり、歴史が動き始めた。今まで自分たちが作っていた作品の延長上に作れない時期が来たんです。その時に、体をかわすようにブタを主人公にしたり、高畑監督はタヌキを主人公にしたりして、切り抜けました。

 それから(日本は)長い下降期に入り、失われた10年が20年になった。僕はじたばたしながら「もののけ姫」を作ったり、いろいろやってきたけれど、「風立ちぬ」まで、ずるずるずると下がりながら、どこへ行くんだろうと考えながら作りました。

 抽象的な表現で申し訳ありませんが、「ずるずるずる」が長くなり過ぎると、(経済が安定していた時期に製作された)「ナウシカ」での引っ掛かりが持ちこたえられず、「どろっ」と行く可能性があるというところまで来ているんじゃないか。ただ、ずるずるずると落ちてくるときに、自分の友人だけでなく、若い一緒にやってきたスタッフや子供たちが生きている横に(自分が)いるわけだから、背筋を伸ばしてきちんと生きなければいけません。

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