作家の村上春樹氏が2013年5月6日、京都市の京都大百周年記念ホールで「公開インタビュー」に出席した。国内の公の場で語るのは極めて異例。心理学者の故河合隼雄氏の7回忌に「河合隼雄物語賞・学芸賞」が創設されたのを受け、村上氏が河合氏と親交が深かったことから開催が実現した。
インタビューと前後して行われた講演と「質問コーナー」を通じて、文学への目覚めから過去の作品、新作「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」、趣味のマラソン、音楽まで、幅広いテーマについて時にユーモラスに、冗舌に語った。村上氏の肉声の一部を紹介したい。
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公開インタビュー前の講演では、公の場に出ない理由、河合氏との交流などについて率直に話した。
僕は普段、あまり人前に出ません。テレビやラジオに出たことはないし、講演もまずやらない。普段は人前に出ないのは、普通の生活を送る普通の人間で、地下鉄やバスであちこち行くので、声を掛けられるのは困るんです。もともと、そういうことにあまり向いていません。この前は、自宅の近所をジョギングしていたら呼び止められ、「村上春樹の家はこの辺にありますか?」と聞かれ、「分からない」と言って逃げました。
文章を書くのが仕事だし、他の事にはあまり首を突っ込みたくない。僕のことはイリオモテヤマネコみたいに絶滅危惧種の動物と思っていただけたら、ありがたいです。
物語とは人の魂の奥底にあるもので、小説を書くときは深いところまで降りていく。そんな僕のイメージを丸ごと受け止めてくれたのは河合先生以外にいませんでした。
河合先生は臨床の現場でクライアントと向き合い、相手の魂の暗いところに降りていったのでしょう。よく駄洒落を言われましたが、絡みつく闇の気配を振り払うために必要だったのだろうと解釈した。僕の場合、外に出て走ることで、小説を書くことで付いた闇の気配を振り落としてきました。
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