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アグネス・チャンさんインタビュー

マラソンランナー

 歌手・タレントでエッセイスト、日本ユニセフ協会大使、がんの早期検診などを呼び掛ける「ほほえみ大使」―。多彩な肩書は幅広い活躍ぶりと、起伏に富んだ人生を物語る。1970年代、「香港から来た妖精」と呼ばれてブレークしたアグネス・チャンさんにとって、2012年は日本デビュー40周年という節目の年。時事ドットコムとのインタビューで、歌うこと、ボランティア活動、そして日本への思いなどを語ってもらった。

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 インタビュー冒頭で40周年の感想を尋ねると、「自分でもびっくりしています」との反応だった。

 だって、40年も歌い続けられると思わなかったから。デビューした頃、自分のことを短距離ランナーだと受け止めていたけれど、マラソンランナーになりましたね(笑)。今まで歌手としてCDをコンスタントに出せたし、自分の道を歩き続けられたかな。

 1972年、17歳のデビュー直後から「ひなげしの花」「草原の輝き」などのヒット曲が続き、トップアイドルとして活躍した。

 最初は日本で受け入れてもらえるか不安でしたが、周りの方々が一生懸命になって私を育ててくれました。当時、日本語は全然できず、歌詞をローマ字で丸暗記して、意味をよく分からないまま歌っていました。

 その後も高い人気が続いたが、76年に引退を表明。カナダへ留学したものの、父の死を経て78年に芸能界にカムバックした。

 デビューしてからあまりに忙しすぎて、何も考える時間がなくて、思春期に普通の生活を何一つしていませんでした。そんな私を父がすごく心配して、「カナダへ行きなさい」と勧めてくれたので、一度引退して留学しました。

 カナダでは児童心理学を学び、研究者になってもいいかなと考えていたところ、父が亡くなって…。母は歌っている私が好きだったので、母の支えになろうと思ってカムバックを決めたのです。

 ただ、その時は「もう一度、絶対に歌いたい」という気持ちで戻ってきたのではなかった。それでは歌手は務まらないんです。それと、私は歌いながらボランティア活動をしたかったのだけど、許してもらえず、孤立感を深めていました。あのころ、自分の中でいろいろな葛藤があって、うまくいかなかったですね。

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