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50年のレース人生回顧 高橋国光氏

4輪レースへ

 大事故の後、高橋さんはホンダからニッサンへ移籍。4輪レースへ転向する。4輪でも速さを見せるが、ビッグレースでは思うように勝てなかった。「無冠の帝王」とも呼ばれた。そんな時、高橋さんがトップを独走中に仲間のドライバーがクラッシュするレースがあった。

 当時を伝えるモータースポーツ専門誌「AUTO SPORT」の1977年4月15日号によると、77年3月5~6日の鈴鹿サーキットでの国内トップフォーミュラ、F2の開幕戦でのことだった。

 高橋さんは快調なペースをキープしつつトップを独走中で、ゴールまで残り2周だった。その時、後続の竹下憲一選手がコースアウト、車体がガードレールに突き刺さり動けない状態に。竹下選手は脳震盪(のうしんとう)を起こし、つぶれたマシンに閉じ込められた。

 事故を知らせる黄旗を見て、減速して現場を通りかかった高橋さんは、事故の重大性を認識すると、コース脇にマシンを止め、救出へ向かった。すると、後続の仲間のドライバー全員が次々にマシンを止め、一緒に救出へ向かった。

 競技審査委員長はそこでレースは成立したと判断、高橋さんが優勝した。同誌は高橋さんのこのレースを、「優勝と人命救助というダブル・タイトルで飾った」とたたえている。

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