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50年のレース人生回顧 高橋国光氏

高度なクルマ文化

 「ドイツにはアウトバーンがあって、車やバイクの性能はすごかった。日本には既にトヨタもダットサン(現ニッサン)もありましたが、まだ国内の道路は砂利道が普通の時代。それに、モータースポーツに対する姿勢も違っていた。ライダーの闘いに観客が拍手して、運営に大勢の人が協力する。高度な文化があった。そんな社会にカルチャーショックを受けましたね」

 ヨーロッパの一流選手に挑戦した高橋さんの特訓は土手だった。

 「荒川の土手にカーブを作って、そこを往復しました。(国内レース草創期の)浅間火山レースは舗装路じゃなかった。でも、世界GPのロードレースはサーキット1周。乗り方は自己流で、そんなレースはしたことがなくて、怖くて、どうしようと思い、真っ暗でした」

 ところが、ヨーロッパの一流メーカーのマシンとライダーを相手に、高橋さんは互角以上の闘いを繰り広げる。

 「ホッケンハイムはコーナーが少なくて、ホンダの性能に助けられた。体重も軽くて、うそだろ、うそだろ、って思ってるうちに優勝。あまりにびっくりしてその時は感動はなかったけど、表彰台で国歌が流れて、(後のホンダ社長の)河島喜好さんが目に涙を浮かべていて、それで感動しました」

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