「いらっしゃい。よく来たね」。ドアを開けるといつも元気な声が響き渡る。その酒場は福岡市の繁華街、天神3丁目の「親不孝通り」沿いのビルにある。店のママ、中島美紀代さん(83)がカウンターの中からお客さんを出迎える。1人でもくつろげるアットホームな場所だ。夏は広いテラスで夜風に当たると気持ちいい。2018年秋、「みきママ」は急病で死の淵をさまよった。今年は新型コロナウイルスの影響で長期休業を余儀なくされた。福岡市内だけでなく全国に散らばるお客さんが心配し、手紙やメールで励ました。コロナに負けず、再び開店。おかっぱ頭は昔も今も変わらない。酒場経営は7月で52年目に入る。
親不孝通り
2018年10月18日。西日本新聞夕刊1面トップに記事は掲載された。「『親不孝』のママ ぬくもり半世紀」「手話で助言、優しさの輪広げ」「『一日一笑』出会いに感謝」-の3本見出し、写真が3枚。破格の扱いであった。
「親不孝」のママというのは、「親不孝通り」のママという意味だ。かつてはその通りの先に大学予備校が2校あり、予備校生が毎日ぞろぞろ歩いていた。「親不孝者がいっぱい歩きよるバイ」と通り沿いの店の人が語った言葉が広まり、通りの名となった。もっとも、今はその予備校はない。
店の名は「モンブラン倶楽部」。1969年7月にオープンした当初は天神地区の昭和通り沿いにあったが、89年12月に移転し、現在は親不孝通り沿いのビル8階にある。
ママの生い立ちを簡単に紹介しよう。
父は熊本県、母は佐賀県の出身。福岡市博多区吉塚生まれ。弟が1人いる。中学、高校時代は器械体操に熱中した。床運動、平均台、跳馬…。体操でオリンピックの選手を夢見ていたという。
しかし、高校2年のころ、大手食品会社勤務の父親が独立したものの、事業に失敗。恩師のおかげで高校は卒業できたが、大学入学は断念した。卒業後7年間は当時「マネキンガール」と呼ばれた薬の店頭販売員となった。「百貨店では、化粧品売り場より薬売り場の方が広かった」という時代、店頭販売員として売り上げはナンバーワン。そのかわいさもあって客の人気者となっていた。しかし、失恋してひどく落ち込んだ。「福岡を離れた方がいい」という知人の勧めもあって徳島に移り住む。徳島で10カ月過ごし、自分でデザインしたミニスカート姿の「バニーガール」になってクラブに勤め、お金をためた。
69年5月に福岡に戻ってきた。もともと薬屋を開業したいと思っていたが、かつての上司から「薬を売るのも酒を売るのも一緒」と、休業中のスナックを引き継ぐよう勧められ、店を引き受けた。薬の店頭販売時代から知るお客さんらに100枚の案内状を出したところ、「毎日あふれんばかりに人がいらしてくれた」と順調なスタートを切った。カウンターと二つのボックス席で40人ぐらい座れる店。周囲はまだ真っ暗だったが、らせん階段を上って入るビル2階のモンブランだけは明るかった。移転前の店は昭和のレトロな雰囲気を残し、ジュークボックスが置いてあった。カラオケセットを入れなくても、歌いたいお客さんは別の店に歌いに出かけ、またおしゃべりに戻ってきた。
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