陸上男子200メートルで日本歴代3位の20秒11を持つ飯塚翔太(ミズノ)。2016年リオデジャネイロ五輪では男子400メートルリレーで第2走者を務めて銀メダル獲得に貢献。日本チームの快走は世界を驚かせた。あれから4年。本来なら開幕のちょうど4カ月前となるはずだった3月24日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受け、東京五輪の1年程度の延期が決まった。28歳のスプリンターは、前例のない決定をどのように受け止めたのか。東京都内で時事通信のインタビューに応じ、その胸中や今後の目標を語った。(聞き手・時事通信運動部 青木貴紀)
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異例の発表から一夜明けた3月25日。飯塚はとても落ち着いていた。一つ一つの質問に冷静に、そして淡々と答えていく。
「延期かぁ、ぐらい。どういう状況になっても対応しようと思っていたので。試合も変わってくるし、スケジュールをどうしていこうかなと。やることは変わらず練習はいつも通り行くし、僕自身に変化はない。今まで通り、次に向けてひたすら準備していく」
延期決定はスマートフォンのニュースで知った。友人らから「延期だね」とLINEで多くのメッセージが届いたという。今年6月に29歳となる。向こう1年という期間をどう捉えているのか。
「選手の入れ替えは激しい。来年誰が速いのか、誰がメンバーに入っているのか分からない。みんなにチャンスがある。自分は引き続き、同じように準備していくだけ。人によっては20年で終わると、たぶん決めていると思う。そういう人にとって一番(の問題)はモチベーションだと思う」
山あり谷ありの19年
リオ五輪のリレーは、日本中に多くの感動を与えた。最年長でリーダー的な役割を担った飯塚は、この快挙を境に自身や日本陸上界を取り巻く環境はがらりと変わったと実感を込める。
「お客さんが増えて、試合の雰囲気などいろいろな変化があった。ニュースでも多く取り上げられるようになり、皆さんの目に触れる機会が増えた。熱の高まりを感じている。この4年間はあっという間だった」
19年は4月のアジア選手権を急性虫垂炎で欠場。6月の日本選手権は100メートルで4位に食い込んだものの、200メートル予選で右太もも裏を肉離れした。それでも夏場には復帰し、秋の世界選手権は個人での出場は逃したが、男子1600メートルリレーに出場した。
「山あり谷ありで、悔しいシーズンだった。けがをして課題が残ったけど、すごく手応えもあった。世界選手権後も元気で、休みたいって気持ちが全然なくて。ほとんど休まず冬季練習に入り、うまく積めている」
冬場は順調にトレーニングを消化。年明けの1月に約1週間、米ハワイで合宿を行い、スタート直後の加速などに重点を置いて取り組んだ。その後は昨年に好感触を得ていた意識を大切にしながら走り込み、理想の動きを体に染み込ませてきた。
「コンパクトだけどダイナミックな動き。リラックスして歩幅が大きく、地面に大きな力を伝える走りをずっと意識してできるようにやってきた。練習の状況は良いので、試合でどうなるか。不安もあり、楽しみ」
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