「お母ちゃんの骨は 口に入れると さみしい味がする たえがたいかなしみが のこされた父とわたしに おそいかかって 大きな声をあげながら ふたりは 骨をひらう(中略)弟は お母ちゃんのすぐそばで 半分 骨になり 内臓が燃えきらないで ころり と ころがっていた その内臓に フトンの綿が こびりついていた」
これは原爆詩「ヒロシマの空」の一節だ。作者は林幸子(1929~2011年)。このほど詩作の基となった被爆前後の体験を文章や絵で克明に記録した手記が見つかった。原爆投下から74年、林の死から8年。書き尽くせなかった思いと、死者の無念を背負った人生が浮き彫りになる。
優しさ捨て逃げた
手記は2009年ごろ、東京都内にあった自宅を長男が整理中に発見。広島や原爆に関する記述は、手書きの原稿用紙約210枚、ノート約540㌻、100枚以上のメモが残されていた。ワープロで清書したらしいA4判用紙も約1360枚あった。70~00年ごろに書かれたとみられる。
林は16歳のころ広島市西区の軍需工場で被爆。爆風で刺さったガラスによる傷を負いながら、家族を探して市中心部をさまよった。
手記では「るいるいと横たわる砂や灰にまみれた鮪(まぐろ)のよう」な死体を見て「死は、尊厳を棄(す)て、汚物となり果て、うち棄てられてしまった」と感じたことを書き、けが人に足首をつかまれて「水を飲ませて」と頼まれたにもかかわらず、「やさしさも、愛も、正義も、一片のかけらもかなぐり捨てて」逃げてしまった後悔などもつづる。むごたらしい死傷者の様子が地名とともに細部にわたって克明に描写されている。
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