学校は何のためにあるのか。
東京都千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長は、学校は子どもたちが「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにあると、明快に述べる。学校は、社会とシームレス(つなぎ目のない)な場所であるべきだ。そのことが「学校の当たり前」を見直す原点にある。
生徒が、未来をよりよく生きるために、学校はどうあるべきか。学校で何を学び、どういった経験をすることが望ましいのか。
学校で行われていることを「目的」と「手段」の関係から徹底的に考え抜き、見直したのが、麹町中の実践だ。
多くの見直しの中で、話題となったのは、「中間・期末テスト」「固定学級担任制」の全廃だった。誰しもが経験し、さまざまな思いを持っているからだろう。
これらを全廃したと聞くと、初めて聞く人は、みな目を丸くして驚く。だが、なぜ見直したのか、また、どのように見直したのかを話すと、たいていの人は納得する。そして、どうしてこれまで見直されることなく、漫然と続けられてきたかに疑問を持つようになる。
麹町中では、「中間・期末テスト」は全廃したが、その代わりに、生徒自身が自ら分からないところを見つけ、分からないところを理解できるように取り組み、結果的に知識が定着するように、単元ごとの小テストを充実させた。また、すでに年に5回、取り組まれている「実力テスト」も有効活用している。
多くの大人が経験してきたことだと思われるが、生徒は、中間・期末テスト前に、あわてて出題されそうな部分を一夜漬けでたたきこむことが多い。これは、「点数を取る」という目的に対しては有効だが、学びとして適切な方法ではない。もし、こうした方法で取り組んでいるのなら、テストの点数は生徒にとっての「瞬間風速」にすぎず、自分の将来にわたって支えてくれる知識や技術や態度を身に付けることにはつながっていないからだ。
多くの公立中学で出されている一律の宿題も、「子どもの学力を高めること」「学習習慣を付けること」が目的であるならば、その目的を達成する手段として、適切な方法を取るべきだ。工藤校長は、「分からないこと」を「分かる」ようにすることが学びであり、その活動として、「聞いたり、調べたりすること」や、「繰り返すことで定着させること」が重要だと考える。
多くの学校で取り組まれているような、従来の宿題の出され方ではそのプロセスが欠けている。生徒に対して、一律の内容と方法で宿題が出されるため、「分かっている生徒にとって宿題は無駄な作業で、分からない生徒にとっては重荷になっている」ことがあるという。
生徒全員が学びに向かう姿勢を自ら取るようになることが何より重要だ。ちなみに、その結果、全員が通知表において『5』がついても、現行制度上、まったく問題はない。これも多くの大人に驚かれるが、文部科学省は、5から1までつける割合を決めていた、かつての相対評価から、誰もが目標を達成したのなら、「5」になる絶対評価に方針を変えたからだ。どの生徒にも学力を付けるという目的から、適切な手段を探し当て、実行することが大切だと工藤校長は考える。
全廃した中には、全国の多くの公立中学校で当たり前とされている「固定学級担任制」もある。
麹町中では、固定学級担任制の代わりに、学年に所属する教員団が全員で得意分野を生かしながら連携して生徒を関わっている。これは「チーム医療」のような取り組みだ。教員がそれぞれ得意な点を生かし、連携しながら、生徒を見ていく。これにより、生徒や保護者に適切に対応することができるようになる。
固定学級担任制ではないため、教師が学級の象徴のようにはならず、生徒自身も隣のクラスに対して優越感や劣等感を持ったり、保護者も「あたり」「はずれ」といった言葉で、学校や担任を見なくなるようになる。
※工藤勇一著『学校の「当たり前」をやめた。』を元に編集部で作成いたしました。
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