稀勢の里、苦闘の日々

不器用に大願成就

 ◆初優勝、そして横綱へ

 稀勢の里は自身の性格を「不器用」「神経質」と評する。18歳3カ月での新入幕は貴花田(のち横綱貴乃花)に次ぐスピード出世。そんな逸材が、不器用なりに粘り強く歩んで大願成就。長い足踏みを経て初賜杯を抱き、横綱昇進も確実にした。
 30歳で綱をたぐり寄せたのは、元隆の里の先代師匠と同じ。15歳で入門して以来、その恩師に言葉遣いや食事の取り方など、力士の素養をたたき込まれた。「忘れることはない。本当にたくさん。一つ一つ実行することが一番」
 2011年11月に急逝した先代は生前、まな弟子を叱咤(しった)し続けた。「もっと泥臭く雑草魂で。目先の一勝でなく人生一生の勝利を」。土俵の外では「謙虚さが美徳。分析力と自分を鼓舞する力が必要」と心の成長を求めた。
 苦い経験を一つずつ力に変えながら、教えに応えた。12年夏場所では11日目を終えて2差リードの単独首位に立ちながら失速。初の綱とりに失敗した13年名古屋場所後には「見たことがないくらい記者がいて、自然と(余分な)力が入った。力み過ぎ」と漏らした。
 右足を痛めた14年初場所は初めて休場。綱とりのはずが、かど番へ転落の屈辱を味わった。「(横綱昇進の)夢は若手に託す。自分は幕内在位100場所を目指す」と弱気になる日もあった。それでも勇気を取り戻し、「常に上を目指している。挑戦する気持ちは変わらない」と再起した。
 初賜杯獲得で他の3大関に先を越されたのも転機の一つ。その悔しさから、闘志の火が燃え上がった。「まだまだ自分も間違っていないという気持ちで、一生懸命にやるしかない」。ウオーキングを取り入れ、四股の形を改善して下半身を鍛錬。内臓への負担を考慮して節制にも努めた。
 重圧に弱いとの指摘も受けた。大一番を前にすると、まばたきが突然、増えたが、昨年あたりからはほほ笑むように口角を上げたり、穏やかな表情を浮かべたりして試行錯誤。「結果を残してこそ、あのときがあったからと言える。そうでなければ、ただの過去。夢は見るものじゃない。一番上での景色を見てみたい」。試練を乗り越え、破顔一笑する日が訪れた。(運動部)
(2017.1.22配信)

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ