◆大横綱双葉山の本音
白鵬と鶴竜も、ガタが来た体をだましながら取っている状態にある。鶴竜は4場所連続休場明けの先場所、10勝だった。横綱として再起を果たしたわけではない。今場所次第ではまた進退を問われるのを覚悟の出場だろう。
白鵬は、元日馬富士の傷害事件などで給与減額の処分を受けて出場した初場所を、途中休場した。実績は言うまでもないが、昨今は物議を醸す振る舞いが目立ち、初場所では土俵入りにほとんど拍手や掛け声が掛からなかった。気の毒なほど寂しい横綱土俵入りだった。
昨年来、親方たちが懸念している横綱不在が現実になれば、1992年夏場所前に北勝海が引退してから93年初場所までの5場所以来だが、横綱陣が不振で批判されたことは、過去にも何度かある。戦後間もない頃には、横綱も大関と同じように降格させるように制度を改める寸前までいったことがあった。
前出の前田山が引退に追い込まれた直後の50年春場所で羽黒山、東富士、照国の3横綱が全員途中休場した時だ。相撲協会は横綱も2場所続けて負け越すか休場するかした場合、大関に降格させる改革案をまとめ、発表した。
当時の報道(朝日新聞)によると、羽黒山は「1年3場所制の現在、2場所で落とすとすると半年間の治療もできないから自分のような老人(筆者注=35歳)はよいが、これからの横綱がかわいそうだ」と困惑し、相撲評論家の彦山光三氏は「全ては横綱の粗製乱造に原因する。この規則よりも今後やたらに横綱をつくらないことだ」と切り捨てた。
正直な気持ちを明かしたのは元横綱双葉山の時津風取締役だ。「相撲界で横綱は絶対権を持ってきた。その横綱であった自分がこの規則を決める一員であるのは誠に申し訳ない。もしこの規則が10年早くできていたら私ももっと楽な気持ちで相撲が取れた」
相撲協会は力士会の了解を得て実施する考えだったが、好角家や世間から横綱の権威が薄れるなどの反対意見が続出して見送られ、代わりに設置されたのが今に続く横綱審議委員会だった。
◆不条理と合理性の振り子
彦山氏の指摘ももっともだが、時津風取締役の談話には、経験者でなければ分からない思いがにじんでいる。力関係の変化や好不調の波が避けられない勝負の世界で、降格がない地位とは、本来この世にない存在を実在する人間に求めるのだから、不条理以外の何物でもない。だから人々は、チャンピオンや4番打者と違う威光を感じ、大相撲が今なお文化としても興行としても成り立っている。
10年前に時事通信社が実施した世論調査でも、相撲が好きな人の中で、横綱の降格に否定的な人が56.4%、肯定的な人は39.5%だった。当時は朝青龍がサッカー騒動を起こしたばかりで、「平時」ならもっと差が開くだろう。横綱たちはそうした存在であり続けるために苦しみを抱えて土俵に上がってきた。大横綱双葉山も引退から間もなく新興宗教に心酔し、警官隊相手に大暴れする事件を起こしている。孤独な苦悩の末のことだった。
しかし一方で、横綱には多くの特権や待遇、名声も与えられる。間断なく続く巡業や行事でけがを治すのも大変だが、横綱には連続休場も許される。大相撲のような古い世界は一見、不条理だらけに見えて、実は驚くほど合理的な面があり、だから今日まで存続してきた。横綱の特権もその一つで、そうでなければ生身の人間に務まるものではないが、不条理と合理性の微妙なバランスが崩れた時、相撲界の内でも外でも、人々の見方は一変する。降格論まで出るような横綱批判もそうだし、元横綱が引退後も全能感にとらわれて唯我独尊ぶりが過ぎれば、人心は離れていく。
初場所前には式守伊之助もセクハラ問題で処分され、夏場所限りの退職が決まっている。横綱も立行司も不在の番付が現実味を帯びてきたが、横綱だからと、ただそれだけで守ろうとするなら、70年近く前の議論がまた起こらないとも限らない。(時事通信社・若林哲治「土俵百景」から)
(2018.3.12配信)
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