◆見慣れた休場
春場所が始まった。寒暖差が大きくて上位力士でも体調管理が難しいせいか、昔から「荒れる春場所」といわれるが、白鵬と稀勢の里の両横綱が休場。荒れる以前の問題だと思っていたら、大関陣も豪栄道と高安の大関陣もいきなりつまずいた。「一人横綱」の鶴竜にしても、初場所で痛めた右手薬指が治り切らないまま出場しており、不安な土俵が続きそうだ。
昨年春場所から今年初場所までの1年間、日馬富士を含む横綱が、延べ23場所中13場所しか皆勤していない。もはや横綱の休場は観客も織り込み済みだが、こんなことが続けば、不祥事続きの中でせめて「土俵の充実」を願うファンの失望は、ともすれば不祥事よりも深くなる。番付は大相撲の根幹であり、平幕優勝の値打ちも若手の活躍も、横綱・大関あってこそだ。
稀勢の里はこれで6場所連続休場となった。過去の横綱では柏戸、北の湖、武蔵丸の例があり、最長は貴乃花の7場所だが、記録上はそうでも、引き合いに出すのは適切でない。
柏戸は6場所連続休場の前まで在位15場所、優勝1回、休場4場所。激しい攻撃相撲でけがが多かったが、大鵬を一気に持っていけるのは柏戸だけといわれ、6場所休場明けにまだ27歳だった。武蔵丸は前場所まで在位20場所、優勝7回。賜杯を逃した場所も12勝以上が5回あり、実績と貢献度は堂々たるものだ。北の湖、貴乃花のそれは言うまでもない。
稀勢の里のように、昇進から間もない横綱の不振としては、戦後初の横綱となった前田山の例がある。新横綱の1947年秋場所から6場所のうち皆勤は2場所だけで、6勝5敗、9勝6敗。6場所目に途中休場しながら場所中に日米野球を見物して引退に追い込まれた。
千代の山は新横綱の51年秋場所から9勝、13勝、10勝、11勝で優勝がないまま2場所連続途中休場し、「大関からやり直させてほしい」と横綱返上を申し出た。異例の事態だったが、27歳だったため相撲協会は奮起を促し、最終的には横綱を通算32場所勤めて3回優勝した。朝潮は新横綱の59年夏場所が10勝に終わった後、けがで3場所全休したが、復帰後は2年間横綱を張り、1回優勝している。
◆前途険しい稀勢の里
休場続きの横綱に対する風当たりは、当時の方が強かった。稀勢の里は久々の日本出身横綱だからと大目に見られ、正直に堂々と戦ってきたのもみんな分かっているが、横綱としての実績や31歳の年齢を考えれば、擁護論もそろそろ限界に近付いている。
初場所では、休場中に稽古を再開して「次(に出場する時)は覚悟を決めて」と語ったと報じられた。稀勢の里がそう言えば、聞いた記者は書く。その分、土俵上で奮闘している力士の記事が減る。「稽古を再開してもいいが、休場した場所中は黙って静かにしているものだ。自覚がない」と怒る親方がいたのも当然だった。
春場所休場を発表した8日朝、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は「治療に専念して、次につなげたい」と語ったが、けがからすでに1年たっており、今からおっつけが戻るまでに回復するだろうか。
連続休場の間を振り返ると、相撲内容はけが直後の昨年夏場所が一番良かった。左の腕と胸にテーピングをしながら中日まで6勝2敗。差して腕を返したり、下手を引き付けて寄ったりと左を使っていた。それでも得意のおっつけは見られず、9日目は栃煌山、10日目には琴奨菊に左差しを阻まれて完敗し、11日目から休場している。
左下手を強く引き付ける相撲もあったので、それで悪化させたのか、対戦相手が左差しを許さなければ勝てると分かったからか。名古屋場所以降、回復どころか相撲内容は悪くなり、自信を失ったように足の運びもぎこちなくなった。
右がうまく使えるくらいなら、もっと早く横綱になっていただろうが、それでもこの1年、左が完全には戻らないことも想定した稽古をしてきたか。死力を尽くして下半身をいじめ抜いたか。結果的に、目先の出場にとらわれ、中途半端な調整の繰り返しになってはいなかったか。その検証から始めないと、夏場所はすぐにやって来る。
場所前の稽古を、部屋で高安相手にすることも、考え直してはどうか。弱った横綱に弟弟子は思い切って取れないから、高安のためにもならない。かつて「北天佑が横綱になれないのは、部屋で(晩年の)北の湖の稽古相手をしているからだ」とささやかれたのを思い出す。
例えば八角部屋に出稽古して、八角理事長(元横綱北勝海)の監督下で相手力士に手加減させずに申し合いをする。次に出場する場所に進退を懸ける前に、稽古に進退を懸け、見通しが立たなければ見切りをつけるのも一つの判断だ。過去にも場所前に引退表明した横綱はいる。北勝海もそうだった。<「下」に続く>(時事通信社・若林哲治「土俵百景」から)
(2018.3.13配信)
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