稀勢の里、苦闘の日々

【土俵百景】それでも残る「8場所休場」(下)

 ◆時機を逸した横審

 稀勢の里は初場所の5日目を最後に、本場所で相撲を取っていない。良い状態で臨んでも、稽古場と本場所の違いがある。今場所の幕内上位には、稀勢の里が休んでいる間に力がついた新鋭がいる。懸賞金の多い稀勢の里戦は相手も一段と気合が入る。最悪8勝でも引退はしなくて済むかもしれないが、千秋楽まで取り切ったのは9場所も前のこと。体力と気力が続くか。懸念材料は尽きない。
 横審の北村正任委員長は総見の後、「頑張ってほしい。横審がいろんなことを言うより本人が一番考えているし、本人が判断しないといけないこと。(最終的な)結果次第では何か物を言うかもしれないが、事前にああなったらこうだとか言わない」と述べた。
 だが、横審はすでに「物を言う」時機を逸している。私は夏場所が進退決断の限界だと思い、3月の「実現しかけた横綱降格」にも書いたけれども、連続休場はついに8場所まで延びた。名古屋場所後の定例会合では、委員長が横審に可能な決議「激励」「注意」「引退勧告」のうち、「激励」を決議する心積もりも持って臨みながら、本人が次に進退を懸ける発言をしたことに加え、委員から「意味があるのか」といった声が出て見送られた。
 確かに、決議に強制力はない。素人(力士の経験がないという意味)に横綱の進退を強制されていいとも思わない。ただ、これら決議を可能にすることによって、横綱たるもの素人にこんな決議をされないようにしっかりやる、もしも決議されたら汚点だと受け止めて意に沿うよう全力を挙げる―。強制力はなくとも実効性すなわち「意味」はあるのではないか。なければおかしい。
 にもかかわらず、8場所連続休場した横綱に出せない決議ならいっそ撤廃すべきだし、意味がないと言うのなら、そんな内規を疑問も持たずに続けてきた過去の委員たちを否定することにもなりかねない。

 ◆変わった風向き

 秋場所の前売り券は即日完売した。人々が日本人横綱を応援する気持ちは理解できる。大相撲は日本でだけ行われている競技かつ興行であり、日本人力士の活躍が望まれるのはごく自然なことだ。ところが、事あるごとに友人・知人たちに稀勢の里の話を切り出してみると、ここ数カ月間ですっかり風向きが変わってしまった。むしろ新鋭の活躍を楽しみに前売り券を求めた人も多いだろう。
 相撲は取ってみなければ分からない。危機を脱するかもしれないし、残念な結果に終わるかもしれない。ただ、復活を遂げた時に書いてはいかにもへそ曲がりだし、引退が決まってからでは後出しじゃんけんになるので、今のうちに書き残しておきたい。結果はどうなろうと、1場所しか実績のない横綱の8場所連続休場が許容されてきた事実と影響は、必ず残ると。
 総見で感じたことがもう一つある。今までも、力士生命の火が揺らぎ、いよいよ進退を懸けることになった横綱を見た。そして周りの関取衆が心中を推し量り、一歩も二歩も下がって接するような光景も見た。けれど総見で関取衆が稀勢の里を見る目は、どこか違った。思い過ごしでないのなら、それはどこから来るのだろう。
 横綱とは、大相撲にしかない特別な地位だ。これからの時代に合うかどうかは議論の余地があるかもしれない。上がったら最後、勝てなければ若くとも引退しか残されていない地位が、未来永劫続くものなのか。
 だからこれが、横綱制度のあり方や横審の存在意義を本格的に議論するきっかけになるなら、まだ救われる。私自身、いきなりカド番制度までいかなくとも、例えば金星の配給や連続休場によって給与を減額するぐらいはすぐにでも議論されていいと思う。しかし、日本人横綱を大目に見たことによって、「横綱」という「日本の国技」に固有の存在がただ脅かされただけで終わるなら、これほど皮肉なことはない。(時事通信社・若林哲治「土俵百景」から)
(2018.9.1配信)

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