稀勢の里 苦闘の日々

陥った負のスパイラル

 ◆またもちぐはぐな休場劇

 大相撲九州場所5日目(11月15日、福岡国際センター)から横綱稀勢の里が休場した。秋場所のピンチを切り抜けたのもつかの間、次の来年初場所で再び進退を問われるのは必至。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)によると、「このままでは終われない。もう1回チャンスをください」と話したというが、現実は厳しそうだ。
 休場の理由は右膝の挫傷と捻挫。初日の貴景勝戦で痛めたという。映像を見ても、最後に落ちた場面ぐらいしか見当たらないが、3日目の北勝富士戦で不自然に右足を引いていたのは、膝を痛めた影響かもしれない。
 理由はどうあれ、3連敗の時点でかなり苦しい状況に立たされていたはず。進退を懸けた秋場所を10勝で乗り切り、今場所は横綱としての復活を求められた。場所前も好調と伝えられた。しかし、ふたを開ければ前に倒れ、後ろに落ち、転がされて3連敗。下半身のもろさが際立ち、ひと昔前なら、師匠によっては本人が何と言おうと引導を渡していただろう。
 しかし、4日目も強行出場し、栃煌山を土俵際まで追い詰めた。この一番を稀勢の里は「こういう状況であそこまでやった。結果がついてこなかったけど、またいい相撲を取っていきたいなという気持ちもある」という。復活への望みを感じ取れたようだ。
 ならば出場を続ければ好転したかもしれないし、休むほど膝が悪いなら3日目を終えて決断してもよかった。この師弟の見通しと判断のちぐはぐな休場劇が、また繰り返された。

 ◆場所前の好調報道とは

 元横綱の北の富士勝昭さんをはじめ、場所前の好調報道を信じていなかった人は少なくない。下り坂の横綱が陥る落とし穴を、見てきたからだ。
 積極的に出稽古した稀勢の里だが、相手力士はけがをさせたくないから、どうしても全力で取れない。さらに今場所の北勝富士が、右のおっつけで左差しを阻めば勝機ありと知って稽古で隠したように、今の横綱なら本場所で勝てると思ってそれなりの稽古をする。
 それで横綱の方は、まだ自分に力があると思ってしまう。稀勢の里もこの日、「場所前は非常に調子良くやることができた」と振り返った。
 一方、横綱が全盛期で強い時は、壊されたくないので力を出せない力士もいるが、「力を出せ」と言われれば出さざるを得ない。あの手この手で何が通じるか試す。横綱は相手の力量を計り、本場所ではその上を行って番付の差を見せつける。
 今場所の稀勢の里は、2日目の妙義龍とも場所前に稽古をしており、そうした「負のスパイラル」が表れたと言ってもいい。強い横綱は、仕切りで目が合うだけで下位力士が戦意喪失するが、今の稀勢の里には多くの力士が、勝てると思って掛かってくる。
 調整法は人それぞれだが、巡業で申し合いを始める時期が遅く、二所ノ関一門の連合稽古でも初日に土俵へ入らないなど、首をかしげる親方が少なくない。秋巡業の序盤、土俵に上がらないのを見て「秋場所の疲れもあるだろうが、最初からきちんとやらないと九州場所はすぐに来る。後からペース配分すればいい。豪栄道や栃ノ心はそうしている」と案ずる親方がいた。
 ベテラン親方は「そもそも左をのぞかせて、右はバンザイして腹を出して寄るだけ。がっちりした形もない。その上にこの状況じゃ、もう厳しいかな」とみる。

 ◆強さあってのドラマ

 それでも復活を望むファンは多い。日本相撲協会も、興行的には何とか日本出身横綱に踏ん張ってもらいたい思いがある。来年初場所は平成最後の天覧相撲を実現させ、3横綱そろってお迎えしたいとも考えている。
 多くの部屋が外国人力士を入門させ、気が付けば日本出身力士の優勝や横綱が途絶えて久しい状態になった。そこで期待されたのが、愚直で、力士としては気の毒なほど不器用な青年だった。大関に5年とどまり、大半の関係者が諦めかけたところへ、初優勝のムードとともに昇進の声が急速に高まり、あれよあれよと念願の最高位に就く。
 新横綱場所でも優勝してみせたが、代償として左の胸と腕に大けがを負った。絶頂期は一瞬。天国から地獄の日々が始まった。時代の波と勝負の神様に翻弄(ほんろう)されるような姿に、多くのファンが感情を揺さぶられ、ワースト記録の長期休場も大目に見て、今なお復活を願う。
 しかし、多かれ少なかれドラマは誰にもある。力士はみな、苦労を重ねながら土俵へ上がっている。その中で横綱とは、まず強さがあってこそ。土俵に対する姿勢もドラマも人柄も、強さの後に連なる。力士仲間はもとより、横綱という大相撲固有の地位に存在意義を感じるファンも、それでこそ魅力を感じ敬意を払う。
 横綱経験者の一人は「俺たちはどこに置かれているか。今はもう、そんな意識もないのかな」と嘆き、横綱審議委員会の北村正任委員長は「横綱の第一の条件である強さが満たされない状態が長期にわたっており、取り戻す気力と体力を持続できるか心配している」とコメントした。
 二所一門の尾車親方(元大関琴風)は「相撲の取り方をいい時に戻さないと。左半身ばっかりでは駄目。いい時を思い出してもらいたい。まだやる気持ちがあるなら、態度で示してくれないと」と、厳しさを込めて望みを託す。
 自分自身の状態と、相手力士たちとの力関係を客観的に把握し、何をなすべきかを知り、初場所までに実践できるか。特別な雰囲気と勝負の神様に後押しされて秋場所を切り抜けた時点よりも、情勢ははるかに厳しくなった。(時事通信社・若林哲治)(2018.11.15配信)

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