稀勢の里 苦闘の日々

引退決断、17年の土俵に別れ

 ◆けがに泣き在位12場所

 大相撲の横綱稀勢の里が土俵を去ることが1月16日、決まった。昨年の九州場所では、1場所15日制となった1949年夏場所以降の横綱として初めて初日から4連敗(不戦敗を除く)。場所後に横綱審議委員会から「激励」の決議を受け、進退を懸けて初場所に臨んだが初日から3連敗を喫した。横綱の引退は、傷害事件を起こして2017年11月に引責した日馬富士以来。
 稀勢の里は強烈な左おっつけを武器に、17年初場所で初優勝した後、日本出身では横綱3代目若乃花以来、19年ぶりとなる横綱昇進。新横綱として臨んだ翌春場所でも賜杯を手にしたが、左上腕や左胸を痛めた。この後はけがの影響で途中休場と全休を繰り返し、昨年7月の名古屋場所まで8場所連続休場。58年以降の年6場所制では、横綱として最長の不名誉だった。
 02年春場所に萩原のしこ名で初土俵。04年夏場所に17歳9カ月で新十両、同年九州場所に18歳3カ月で新入幕。ともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ年少記録で出世し、06年名古屋場所で新三役に昇進するなど、一気に番付を駆け上がった。
 11年九州場所後に大関に昇進したが、幕内優勝と横綱昇進までは時間がかかった。初優勝は大関昇進後31場所目。横綱昇進は新入幕から73場所を要し、昭和以降では最も遅かった。
 横綱になった後は、けがに苦しみ在位はわずか12場所に終わった。横綱での36勝は昭和以降に昇進した横綱ではワースト3位、出場66回は同4位だった。(運動部)(2019.1.16)

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