2019年初場所4日目の1月16日、横綱稀勢の里が引退を発表した。17年初場所後、最高位に。19年ぶりの「日本出身横綱」誕生に相撲ファンは期待を寄せ、新横綱の春場所では左腕と胸のけがをこらえて奇跡の逆転優勝して感動を呼んだ。しかし代償は大きく、その後は途中休場と全休の繰り返し。進退を懸けた18年秋場所は10勝して切り抜けたが、九州場所は1勝もできず途中休場。横綱審議委員会から「激励」の決議を受ける事態に。再び進退を懸けた場所で初日から3連敗を喫し、17年間の土俵生活に別れを告げた。(時事ドットコム編集部)
◆「やり切ったという気持ち」
現役引退を決めた横綱稀勢の里は1月16日午後、東京・両国国技館内の相撲教習所で記者会見した。何度も涙を拭いながら、17年間の土俵生活で貫いたものは「絶対に逃げない気持ち」、誇れるものは「一生懸命、相撲を取ったこと」と語り、多くの人々への感謝の気持ちを重ねて口にした。詳しいやりとりは次の通り。
【冒頭あいさつ】
田子ノ浦親方「きょうはたくさんの方にお集まりいただき、ありがとうございます。稀勢の里はこれからも協会に残っていきますので応援お願いします」
稀勢の里「私、稀勢の里は今場所をもちまして引退をして、年寄荒磯として後進の指導に当たりたいと。現役中は大変お世話になり、ありがとうございました」
【一問一答】
-今の心境は。
稀勢の里「横綱として皆さまの期待に沿えないということには、非常に悔いは残りますが、自分の土俵人生においては一片の悔いもございません」
-今、思い浮かぶことは。
「たくさんの人に支えられてやってきて、一人一人の顔を思い出しますし、感謝の気持ちしかありません」
-きのう負けてから決断までの気持ちは。
「もうやり切ったという気持ちが一番、最初に出ました」
-17年間の土俵人生を振り返って。
「本当にいろいろな人に支えられて、一人じゃここまで来られなかったと思いますし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」
-心に残っていることは。
「あり過ぎてなかなか思い出せませんが、稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場の思い出は今でも覚えています」
-横綱審議委員会から「激励」の決議を受けたが。
「覚悟を持って、場所前から過ごして稽古をしてきました。自分の中で、これで駄目だったら、という気持ちがあるくらい、いい稽古をしました。その結果、初日から3連敗という形で、自分の中では一片悔いもありません」
-体の状態はどうだったか。
「(一昨年春場所で)けがをして以来、自分の中では一番いい動きができていたので、自信を持って臨みました」
◆「稽古場で自問自答していた」
-2年前のけがの状況は。当時はどう思ったか。
(しばらく涙の後)「一生懸命やってきました」
-相当の大けがだったか。
「そうですね。はい」
-その後の回復具合は。
「そこの部分ではなくて、えー、徐々に徐々に良くなって来ましたが、自分の相撲が取れなくなって、けがをする前の自分に戻ることはできなかったです」
-けがを抱えながらどんな思いで横綱として務めてきたか。
「このまま潔く引退するか、こうして横綱に上げてもらって、ファンの人たちのために相撲を取るか、というのはいつも稽古場で自問自答していましたが、ファンのため応援してくれている人のために相撲を続けようという判断になってやってきました。でもこのような結果になって、ファンの人たちには申し訳ないという気持ちです」
-親方に。きのう話し合って、どのように決まったか。
田子ノ浦親方「私は、自分から言うつもりはないと思っていました。稀勢の里が入門してからずっと一緒にいて一番近くで見ていたので、これだけ相撲に熱意を持って、必死でけがと向き合い稽古をやってきたのを見てきて、自分の努力で横綱まで上がったと思います。そういう責任感が強い男が、自分から私のところに相談に来るまで支えていければと思っていました。そこできのう、本人から相談があると言われ、本人の口から引退をさせてくださいと。自分としてはなかなか言葉にはできなかったですけど、本当によく頑張ったと思います」
-兄弟子として師匠として思うことは。
「なかなか…現実なんですけど、まだ本当に引退するのかなと。あれだけ土俵で稽古していましたし。でも少しずつ時間がたつにつれて、思いがどんどん変わるんじゃないかとは思いますが、今は不思議な感覚ですね」
-初優勝から昇進、苦しい時も見てきた。
「最初は弟弟子でしたが、今は弟子という形で部屋で一緒に頑張ってきました。尊敬できることもたくさんあります。これからも一緒に、いろんな意味で頑張っていけたらと思います」
-横綱が相撲界に残した功績は。
「相撲界にというより、自分の中では先代師匠(元横綱隆の里)が夢に描いていた幕内優勝、そして横綱。僕たち(他の弟子)ができなかったことをやり遂げてくれて、すごく感謝しています。これからの方が長いですし、これからも頑張ってもらわないと。相撲ファンの方に恩返しできるチャンスはたくさんありますから、協会のためファンのために一緒に頑張っていこうと思っています」
◆誇りは「一生懸命相撲を取ったこと」
-横綱に。先代の教えで心に残ることは。
稀勢の里「先代は稽古場を非常に大事にしていました。稽古場というものの大事さを今後、次世代の力士に教えていきたいと思います」
-引退については天国の先代に何と報告を。
「感謝の気持ちを伝えたいです」
-生前の先代から、横綱になったら分かることがある、見える景色があると言われていたが。
「やっぱり大関と横綱というのは全く違うものでした。ですが、まだまだ先代の見ていた景色は見られなかったです」
-横綱という地位は。
「自分自身を変えてくれました」
-どう変えてくれたか。
「全く環境も変わりましたし、自分の意識も変わりましたし、そういう部分で、自分自身が変わったなと思います。説明しにくいですけど、自分の中で本当に変えてくれたなと思います」
-17年間で「この一番」は。
「横綱昇進を決めた2017年初場所の千秋楽、横綱白鵬関との一番です。11年に大関に昇進した時には千秋楽、琴奨菊関に負けました。その悔しい思いを持って、次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちで臨んだ一番でした」
-土俵人生で貫いた信念は。
「絶対に逃げない、その気持ちです」
-先ほどからの涙の意味は。
「いろんな人に支えられてここまで来ました。先代をはじめ顔を思い出すと、どうしてもこぼしてしまいます」
-15歳で入門した頃の思い出は。
「早く強くなりたい、大いちょうを結いたい、ただその気持ちだけを持っていました」
-モンゴルをはじめ外国人力士や学生出身力士たちへの思いは。
「自分を成長させてもらったのも、横綱朝青龍関をはじめモンゴルの横綱のおかげだと思っているところもありますし、他の人の稽古を巡業中に見て、背中を追い掛けて少しでも強くなりたいという気持ちで稽古をしました。上がれなかった時に日馬富士関にも声を掛けてもらい、非常にいいアドバイスをいただいたと思っています。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」
-「日本出身横綱」は大きな重圧だったか。
「いい環境、あの声援の中で相撲を取るということが本当に力士として幸せでした。本当にいい思い出です」
-力士生活で一番、誇れるものは。
「一生懸命相撲を取ったこと、ただそれだけです」
-親方としてどんな力士を。
「一生懸命相撲を取る力士、けがに強い力士を育てていきたいと思います」
-一番忘れられない光景は。
「天皇賜杯を抱いた時です。うれしかったです」
(時事ドットコム編集部)(2019.1.16)
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