大相撲 新星探査

霧馬山 けがを転機に、凱旋を励みに

 ◆目に止まった真面目さ
 左膝にしていたサポーターを初場所から外した。まだ少し不安はあるが、けがにつながりそうな相撲がほとんどなくなった自信もある。低く当たって、前まわしをつかんで前に出る相撲を見せ、自己最高位の東幕下20枚目で5勝2敗の好成績。「目指すのは師匠(元大関霧島)のような相撲」。モンゴル出身の霧馬山(陸奥部屋)は少したどたどしい日本語で語る。
 初土俵は2015年春場所。日本相撲協会の若者頭も務める陸奥部屋の福ノ里さん(元十両)は、入門当時の第一印象を「細いなあと思った」という。モンゴルから4人の少年が数日間、体験入門に訪れた。もっと体格がいい少年もいたが、師匠は一番真面目だった霧馬山を入門させた。
 「最初は兄弟子が怖く見えたし、いびきがうるさくて眠れなかった」。霧馬山は当時を笑顔で振り返る。風邪を引いて相撲協会の診療所に連れて来られた時、偶然、健康診断に来ていたモンゴルの大先輩、横綱日馬富士に握手をしてもらった。「あれから、しばらく『俺は横綱になる』とばかり言っていたな」と福ノ里さんは思い出す。
 ◆師匠からの約束
 三段目で全勝優勝するなど順調に出世したが、東幕下30枚目で迎えた昨年名古屋場所、左膝を痛めて全休した。しかし、これが大きな転機になった。それまではモンゴル相撲の癖が抜けず、下がりながら強引な投げを打っていたが、けがを機に封印。稽古場で師匠に口酸っぱく言われてきた「前に出る相撲」が、けがを防ぐためにも大切だと、身をもって知るきっかけになった。入門当時は80キロほどだった体重も、地道に増やして今は120キロ近くに。幕下力士相手でも押し負けしない体になってきた。
 一度だけ福ノ里さんに叱られたことがある。休場中だった昨年名古屋場所、一人で宿舎を抜け出してモンゴル料理を食べに行った時だ。けがをした不安にホームシックも重なったのだろう。そんな霧馬山は最近、師匠から、十両に昇進したらモンゴルへ里帰りさせてやると言われたという。それが今は大きな励みになっていると話す顔が、少し照れくさそうだ。「一生懸命稽古して、早く関取に上がりたい」。心身共に成長を続けてきた20歳は今、しっかり目標を見据えている。

 ◆霧馬山(きりばやま) 1996年4月24日生まれ、本名ビョンブチュルン・ハグワスレン。モンゴル・ドルンノット出身、陸奥部屋。2015年春場所初土俵、最高位は東幕下20枚目。184センチ。

 ◇若者頭 「わかいものがしら」と読む。日本相撲協会で引退した力士が就く係の一つで、幕下以下の力士の監督や稽古の指導などをする。定員8人、定年65歳。それぞれどこかの部屋に所属はしているが、他の部屋の力士も含め、8人で「若い者」の面倒を見る。角界で「若い者」「若い衆」とは、年齢に関係なく幕下以下の力士の意味。
 (データなどは2017年初場所後現在)
 (時事通信元運動部相撲担当・藤井隆宏=現札幌支社編集部)

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