◆中学時代から磨いた出し投げ
◆初めて味わった負け越し
ザンバラ髪を卒業し、まげを結った19歳。「力士らしくなって気が引き締まる」と気合いを入れていた木竜皇だが、秋場所は西幕下22枚目で3勝4敗と1点の負け越しだった。昨年夏場所で初土俵を踏み、翌場所の序ノ口以来、初めて味わう負け越し。7番相撲で王輝(錣山部屋)にはたき込みで敗れた直後は、3連敗3連勝の後でもあっただけに、悔しさをあらわにしたが、こうも続けた。「終わるわけではない。腐らず稽古をする」
父は先代時津風親方(元幕内時津海)。青森・三本木農業高を卒業し、時津風部屋に入門する予定だったが、その父が昨年2月、日本相撲協会の新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反し、協会を退職。入門直前で思わぬ事態に見舞われた。だが、「幼い頃から力士になるのが夢」という意思は揺るがず、3年下の弟、春雷と一緒に立浪部屋から角界に飛び込んだ。
そんな経緯もあって、弟は共に関取を目指す強い味方だ。場所中はお互いの対戦相手の映像を分析して助言し合う。時にはライバルとして互いを意識し、二人三脚で歩みを進めている。
低く当たって前まわしを引き、寄る相撲を磨く。番付を上げるにつれて当然、相手の体も大きくなる中、秋場所では立ち合いの重要性を再認識させられた。師匠の立浪親方(元小結旭豊)からも強く当たる意識の徹底を求められており、稽古場で鍛錬を続ける。
名古屋場所までは豊昇龍の付け人だった。三役昇進後も勝負強く勝ち越しを続ける兄弟子から学んだのは「常に相撲のことを考えている」という姿勢。部屋で身に着ける物の色にまで験を担ぐ姿を目の当たりにし、「勝負への貪欲さを見習わないといけない」と感じた。さらに、毎日体重を量って計画的に体を大きくする姿を間近で学べた。
秋場所からは師匠の付け人になったが、豊昇龍からは今でも目をかけられており、「ありがたい」と感謝する。
◆同学年関取に対抗心
「20歳で幕下上位に上がり、十両昇進の争いに加わる」ことが今の目標。同学年の力士に目を向ければ、熱海富士(伊勢ケ浜部屋)はすでに十両で活躍しており「すごいなと思うが、悔しい。追い付け追い越せという感じ」と対抗心を隠さない。
そんな愚直に上を目指す姿に師匠は「真面目だし、向上心もある。強くなるんじゃないか。(秋場所も)壁にぶつかったわけではない。順調だと思う」と期待を寄せる。九州は20歳になって迎える最初の場所。当面の目標を達成するために、勝負の1年が始まる。
◇木竜皇(きりゅうこう) 2002年10月31日生まれ、本名坂本博一(さかもと・ひろかず)、千葉県柏市出身、立浪部屋。174センチ、122キロ。青森・三本木農高を卒業後に入門し、21年夏場所初土俵。序ノ口から今年の名古屋場所まで勝ち越しを続けた。
(記録などは秋場所終了時点)
(時事通信相撲担当・伊藤晋一郎、写真も)
◇立浪部屋 1915年に元小結緑蔦が創設。「立浪三羽ガラス」と呼ばれた双葉山、羽黒山の両横綱と大関名寄岩らを擁し、立浪一門を形成する大部屋となった。時津風部屋は双葉山が興した部屋。立浪部屋は元横綱羽黒山、元関脇羽黒山(安念山)と継承されて大関若羽黒、北の洋、時津山、大関旭国、黒姫山らが育ったが、横綱双羽黒が師匠とのトラブルで廃業した後、部屋の勢いが停滞した時期もある。元小結旭豊は師匠としては4代目。貴乃花一門に加わった経緯があり、現在は出羽海一門に属している。東京都台東区。(2022.10.21)
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