◇三宅、奇跡の銅
最後の試技を終えた三宅宏実(31)=いちご=はひざまずき、下ろしたバーベルに頬ずりした。リオデジャネイロ五輪重量挙げ女子48キロ級。印象深い銅メダリスト誕生のシーンだった。
その4日前。報道陣の前に現れた姿には悲壮感がにじんでいた。「今の状態では厳し過ぎる」「開き直った時に何かできるのかなと思う」。深刻なけがを抱えていた。
五輪出場枠の懸かった15年11月の世界選手権で、53キロ級から48キロ級に体を絞り3位に入った。この貢献で日本は最大の4枠を獲得。だが、女子監督を務めた1968年メキシコ五輪銅メダリストの父義行さんは「本当はしたくなかった。でも、宏実を48キロ級で使わないと4枠を取れなかった」と苦渋の決断を振り返る。
30歳で迎える五輪に合わせ、4年に1度の計画だった減量を前倒しした代償は大きかった。16年4月に腰は悲鳴を上げ、痛みはふくらはぎまで広がった。ヘルニアと診断され、本番の重量を練習で一度も挙げられないままリオへ。「心が折れそうになった」と漏らした。
減量に苦しみ、前日はゼリーをすすっただけ。初めて痛み止めの注射を打って臨んだ。ドラマはスナッチにあった。自己記録を6キロも下回る81キロを2回続けて失敗。「記録ゼロかな。私の夏は終わった」と諦めかけた。
だが、背水の3回目に奇跡は起きた。初めて味わった感覚を「不思議な3本目だった。みんなが手伝ってくれたんだと思う」と表現した。ジャークでも2回目に失敗した107キロを3回目に成功。父は「お前、よくやったね」と叫んだ。前回ロンドン五輪で手にした銀に勝るとも劣らない銅の輝きに、親子は見入った。(注=年齢は12月現在)
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