特集・懐かしの軍用機

幻の全翼型爆撃機 B49

 1941年、米国陸軍航空隊(当時はまだ空軍がなかった)は、ドイツがヨーロッパ全土を占領した時に備え、北米から大西洋を越えてヨーロッパ大陸を直接攻撃できる超長距離重爆撃機の開発をスタートさせた。このプロジェクトに対し、新興メーカーのノースロップ社は、胴体も尾翼もない全翼機を提案。空気抵抗が少ない全翼機は長大な航続力が期待できるため、陸軍はB35として量産型を発注した。ただ、特異な形式だけに実用化まで時間が掛かり、レシプロエンジン4基を積んだ1号機が飛行したのは第2次大戦終了後の46年だった。既に長距離重爆の必要性はなくなっていたが、B35をジェット化することが決まり、8基のジェットエンジンを積んだ試作1号機YB49が47年に初飛行した。

 YB49は全長16.2メートル、全幅52.4メートルという巨人機(ボーイングB29は全長30.2メートル、全幅43.1メートル)だったが、推力1.8トンのターボジェット8基により最高時速793キロを出せた。航続距離は5077キロと、期待したほどではなかったが、全翼型構造は翼内に大きなスペースを取れるため、大量の爆弾を積載することができた。米空軍(47年に陸軍航空隊が独立)は48年にB49を30機発注、主力戦略爆撃機になるはずだったが、ノースロップ社の喜びもつかの間、翌年にすべてキャンセルされてしまった。

 キャンセルの理由は明らかになっていないが、全翼機はさまざまなメリットがある一方で、操縦が難しく、機動性にも欠けるという問題があった。戦後、米空軍に採用された戦略爆撃機は、コンベアB36、ボーイングB47、ボーイングB52といずれもオーソドックスな機体形状をしており、最終的にB49のラジカルな構造が受け入れられなかったものと思われる。ノースロップは、その後も全翼機の開発を続けたが、1980年代になって、ステルス性の高さが評価され、世界初の全翼型戦略爆撃機B2が米空軍に採用された。

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