第2次大戦中、米軍最強の戦闘爆撃機といわれたP47サンダーボルト、朝鮮戦争で対地攻撃の主役となったF84サンダージェットを送り出したリパブリック社が、戦術核攻撃も可能な超音速戦闘機として開発したのがF105サンダーチーフだ。原型機は1955年に初飛行、総重量20トンを超える大型の機体ながら、推力約11トンの高出力エンジンを搭載し、マッハ2.1の高速飛行を実現した。高速と爆弾搭載能力の大きさを買われてベトナム戦争では北爆(北ベトナム領内の爆撃)の担い手となったが、低空での精密爆撃にこだわったため敵戦闘機や対空砲火の的となり、大損害を被る悲運を味わった。
F105の開発時期は、東西関係が一触即発の緊張状態にあったため、米空軍も全面戦争に備えて高速で敵地の奥深く侵攻する戦術核攻撃機を求めていた。主力生産型となったF105Dは、全長19.6メートル、全幅10.7メートル、全天候型戦闘爆撃機として航法と火器管制、爆撃照準を連携させた統合自動システムを備え、胴体内に小型核爆弾を搭載することが可能だった。ベトナム戦争で核攻撃は行われなかったが、F105Dは通常爆弾を5トン以上も搭載できる余裕ある機体と当時のソ連製戦闘機では追尾できないマッハ2の高速を出せることから、軍事施設など主要目標の攻撃にかり出された。ただ、スペック上の対空戦闘能力が高くても、爆弾を満載した状態では動きが鈍り、敵戦闘機への対応は困難だった。また、北爆では軍事施設だけを正確に破壊することが求められ、目標に肉薄したF105は激しい対空砲火を浴びた。その結果、F105DとF105F(複座型)は総生産機数751機のうち、損失400機以上という痛手を被った。
F105の損害は、精密爆撃の困難さを如実に示したもので、米軍はその後、敵の射程外から目標への誘導が可能なスタンドオフ兵器の開発に熱心になる。ただ、実戦ではスタンドオフ兵器にも誤爆が多いことが明らかになっており、命中精度を上げるため目標へ近づいた航空機が大きな損害を受ける状況は21世紀も変わっていない。
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