朝鮮戦争でソ連製MIG15の軽快な機動性に手を焼いた米空軍のパイロットたちは、速度と上昇力に優れた制空戦闘機の開発を強く求めた。1954年3月に初飛行したロッキードF104スターファイターは、そうした現場からの要求を具現化した機体で、重さ5.7トンの単発軽量機ながら最高速度はマッハ2を超えた。朝鮮戦争終了後、米空軍は戦闘機にマルチロール能力を強く求めるようになったため、自国で活躍の場はなかったが、敵爆撃機の侵入を阻止するインターセプター(要撃戦闘機)としては一級品で、日本の航空自衛隊にも採用されて空の守りを固めた。
全長16.7メートルに対し、全幅は6.99メートルしかない。鉛筆のように細くとがった胴体と台形の小さな主翼は、高速と上昇性能を追求した結果だった。大きな垂直尾翼とT字型になった水平尾翼も特徴的だが、実は胴体の両脇に設けられた空気取り入れ口の中央にある半円錐形の「衝撃波コーン」が高速性能のキーポイントになっている。衝撃波コーンが空気流入を適切な量に調節することで、エンジン燃焼が効率的になり、初めてマッハ2の高速が可能になった。
残念なことに、完成した時点で米空軍は制空戦闘に特化した戦闘機の必要性を感じなくなっていた。58年に米国内の迎撃戦闘機部隊に配備された初期生産型のF104A型は、わずか2年で第一線から引退。核爆撃も可能な戦術戦闘機タイプのF104Cが少数生産され、65年にはベトナム戦争にも参加したものの、低空での機動性に難があり、さしたる働きはできなかった。
一方、F104は日本のように要撃機としての役割を重視した国では、その能力が高く評価された。ヨーロッパ諸国も含め15カ国で主力戦闘機として採用、ライセンス形式を含めれば2500機以上が生産され、世界的にはベストセラー戦闘機となった。
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