特集・懐かしの軍用機

超音速戦闘機第1号 F100

 F86の成功で軍用機メーカーとして不動の地位を獲得したノースアメリカン社は、1951年から超音速戦闘機の開発に着手した。ちょうど朝鮮戦争の真っ最中で、空軍から基本性能でソ連製戦闘機をはるかに上回る高速戦闘機が欲しいとせっつかれたことも、開発を後押しする形になった。53年5月に原型機が完成したF100スーパーセイバーは、空力抵抗を極限まで低減した細長いボディーに、F86よりも後退角を強めた主翼、F86に比べ倍近い推力を持つ高性能エンジンを備え、初飛行であっさりと音速を突破した。格闘戦で優位に立つのに必要な上昇力も素晴しく、空軍はすぐさま制空戦闘機としての採用を決め、世界初の超音速戦闘機の量産が開始された。

 初期型のF100A型が部隊配備されたのは54年9月。朝鮮戦争はその前年に終わっていたが、F100にとってはむしろ幸運だった。同年11月に機体の根本的な欠陥が明らかになり、飛行停止措置が講じられたからだ。尾翼の再設計などにより欠陥は克服されたが、大きな戦争がない時期だったこともあり、制空戦闘機型のF100Aは55年に約200機で生産を終了した。

 ただ、F100の高い性能を惜しんだ米空軍は、戦闘爆撃機としての活用を考え、兵器搭載能力や航続性能を高めたC型、D型が開発された。とりわけ56年に初飛行したD型は、ソ連との全面戦争を意識し、敵領土内に高速で深く侵攻して核爆弾を投下する戦略兵器に位置付けられていた。幸いにも米ソの核戦争は発生しなかったが、60年代にベトナム戦争が激化すると、F100は対地攻撃機として初の実戦を経験することになった。爆弾搭載量が多く、もともと制空戦闘機だけに敵の迎撃戦闘機とも渡り合えると判断されたわけだが、F100にはいい迷惑だった。主に重武装拠点の爆撃に多用されたものの、その分、損害も大きく、対地攻撃に向かないことはすぐ明らかになった。各型合計で2000機以上が生産されたとは言え、超音速戦闘機第1号の栄誉に見合った働きができずに終わった不運な機種と言える。

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