特集・懐かしの軍用機

ベトナムで戦った大戦機 A26

 米国の軍用機の中で、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と3つの近代戦で攻撃作戦に投入されたのは、ダグラスA26インベーダーぐらいだろう。米軍の機種呼称ルールが何度か変更された関係で、1943年の量産開始時点のA26が、48年にB26へ、62年には再びA26に戻された。第2次大戦では戦闘機並みの高速を生かした戦術爆撃で戦果を上げ、朝鮮戦争とベトナムでは低空での高い運動性と長大な航続性能から敵地に深く侵攻する対地攻撃に活躍した。64年に第一線から退いたのは機体の老朽化が原因で、A26が果たしてきた役割を完全に代替できる機種はなかった。そのため、一部の機体に改修を加え、69年まで対ゲリラ用ガッシップとして使用された。

 全長15.42メートル、全幅21.34メートルと、サイズは第2次大戦中に開発された他の中型爆撃機と変わらないが、機体の設計に当たっては軽量化と空気抵抗の低減を徹底的に追求した。その結果、高度3000メートルで最大時速571キロを出すことができ、第2次大戦中のレシプロ戦闘機であれば、追尾されても振り切れるだけの機動性を持っていた。軽量化のため乗員も操縦手、爆撃手、機銃手のわずか3人に抑え、機体の上下に動力銃座を配置して一人の機銃手が操作を担当した。武装は胴体内や主翼下のハードポイントに最大1.8トンの爆弾を搭載できたほか、機首に12.7ミリ機関銃8丁を集中装備したタイプもあった。

 A26が長期間現役にとどまったのは、米国が対地攻撃機の開発を苦手としている証拠でもある。米国は軍用機の汎用性を尊び、単機能機は経済性が悪いとして嫌う傾向が強い。朝鮮戦争以降、地上部隊から近接航空支援の需要が増大したにもかかわらず、対地攻撃の専用機はOV10ブロンコ、A6イントルーダー、A10サンダーボルトIIなど数えるほどしか開発されていない。特にベトナム戦争では、損害の大きい対地攻撃にF100スーパーセイバー、F4ファントム、F105サンダーチーフなど高価な戦闘機を次々と投入、いたずらに戦費を増大させて自らの首を絞めることになった。

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