ノースアメリカンF86セイバーの原型機は、1947年10月に初飛行した。第2次世界大戦中にドイツが開発した後退翼を取り入れることで、高速飛行時の安定性を高めることに成功し、最大時速994キロを記録。上昇性能も高く、格闘戦能力に優れていたため、49年に米空軍が制空戦闘機として制式採用した。50年に始まった朝鮮戦争では、開戦当初に米空軍の主戦力だったロッキードF80戦闘機がソ連製MIG15戦闘機に手痛い損害を被ったものの、F86が投入されると形勢は一気に逆転した。
鴨緑江上空で展開されたF86とMIG15の空中戦では、F86が終始優勢に立った。実質2年半の戦闘期間中、MIG15の損害約800機に対し、撃墜されたF86は78機と10分の1以下で、空中戦に関しては米空軍の圧勝に終わった。実は、MIG15もドイツの技術を参考にした単発ジェット戦闘機で、F86と同様に後退翼を備え、外見も似ていた。上昇力と急降下性能ではMIG15の方が若干優っていたものの、操縦していた中国義勇軍パイロットのほとんどが初心者だったのに比べ、米軍には第2次大戦の激戦をくぐり抜けてきたベテラン搭乗員が多かったことから、機銃で撃ち合う空中戦(朝鮮戦争当時、空対空ミサイルは実用化されていなかった)では相手にならなかった。
朝鮮戦争後、F86は西側諸国の主力戦闘機として供与され、生産数は8000機を超えた。ただ、ジェットエンジンを搭載していても機体のコンセプトはレシプロ戦闘機の延長でしかなく、音速を超えることはできなかった。後に電子機器の発達などに応じて様々な改良が加えられ、レーダーを搭載して全天候性能を獲得したほか、58年に空対空ミサイルによる初の撃墜戦果を上げたのも、米軍が台湾に供与したF86Fだった。日本の航空自衛隊も採用し、82年まで使われた。
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