特集・懐かしの軍用機

中継ぎからエースに F4

 マクドネルF4ファントムIIは、超音速機としては最多の5000機以上が生産された西側のベストセラー戦闘機。1954年に攻撃機として開発が始まったが、最終的には空母に搭載する「防空戦闘機」という位置付けで58年に初飛行した。開発当時のジェット戦闘機は格闘戦を得意とする制空戦闘機が主流で、米海軍の艦載機も重さ8~10トンの軽量単発機が多かった。大型双発機のF4は重量が20トンを超え、これだけの機体を運用できる空母も限られていた。海軍も最初から自信を持って送り出したわけではなく、空中戦が機銃を撃ち合うドッグファイトからレーダーと空対空ミサイルによる遠距離戦闘へと移り変わる時代の中で、過渡的な役割を期待していたようだ。ところが、大出力エンジン2基のパワーを生かした機動性、高性能レーダーによる全天候性(目視の利かない夜間、悪天候でも計器に頼って戦闘ができること)、大型の機体に大量の兵器を搭載できる汎用性などが実戦部隊で高く評価され、F4はたちまち海軍と海兵隊の主力戦闘機にのし上がった。

 米空軍もF4の性能に注目し、62年1月に海軍から実機を2機借り受けてテストを実施。2カ月後には制式採用を決め、空軍型の量産を開始した。F4戦闘機の実戦配備は、ベトナム戦争が泥沼化した時期とも重なり、海軍、海兵隊、空軍それぞれで対空戦闘、対地攻撃に活躍。マルチロールファイター(多用途戦闘機)の先駆けとなった。また、英国、西ドイツ、イランなどに供与されたほか、日本でもライセンス生産され、各国で主力戦闘機としての役割を担った。

 海軍向けのF4B型は全長17.8メートル、全幅11.7メートル。最高速度は時速2389キロ、航続距離は1265キロで、パイロットと火器管制員の2人が搭乗する。なお、F4が「ファントムII」を名乗ったのは、同じマクドネル社が1945年に艦上ジェット戦闘機「FH-1ファントム」を開発していたからだ。初代ファントムは米海軍初の実用艦上ジェット戦闘機だが、平凡な性能しか出せず、わずか60機で生産が打ち切られた。

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ