ルーマニアのチャウシェスク大統領(1974年就任)は「独裁者」として長年君臨し、一族を党や国家の要職に起用する縁故主義を進めた。エレナ夫人も第一副首相に就任し、夫とともに権勢を振るった。
大統領一家は宮殿に住み、困窮する国民とかけ離れ、豪勢に暮らした。政府が5人以上子供を産むように国民に強制したことも、大量のストリートチルドレンを生み、混乱に拍車を掛けたとされる。
ルーマニアにも「ベルリンの壁」崩壊をはじめとする東欧民主化の波が押し寄せ、ティミショアラで1989年12月に始まった抗議行動を引き金に、民衆の不満が国内でも爆発。大統領夫妻はブカレストを脱出し、共産主義体制は幕を閉じた。
大統領夫妻は、大量虐殺や不正蓄財の罪で起訴され、軍事法廷で死刑判決を言い渡され、その日のうちに公開で銃殺された。(2011年1月19日配信)
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