近代オリンピックとその時代

「キセル・マラソン」発覚

第3回セントルイス(1904年)
 大会の呼び物、マラソンで、有名な「キセル事件」が起きた。30度を超える暑さの中、31選手が参加してスタート。先頭でスタジアムを出たフレッド・ローツ(米国)は20キロ過ぎで道端にひっくり返ったが、通りかかった自動車に乗せてもらいスタジアムに向かった。途中でこの車がエンストしたため再び走り始め、トップでゴールしたが、自動車を運転していた男性の証言で、「キセル」が暴露された。
 ローツは「ふざけてやったこと」と釈明したが、非難ごうごう。本来の優勝者トーマス・ヒックス(米国)がゴールしたのは、ローツの1時間後、記録は3時間28分35秒だった。
 第2回パリ大会に続き、万国博覧会の付属大会として行われ、欧州から遠く離れた米国での大会だったことから、英国、フランスなどが参加を見送り。参加国は前回から激減した。

 【その時世界は】
 20世紀初頭の米国は主に欧州から多くの移民を迎え入れ、彼らが鉄鋼産業、繊維産業での労働者として経済の急成長を支えていた。1905年からの10年間に1000万人以上が新天地を求めて米国の土を踏んだとされる。セントルイス万国博覧会はそんな新興国アメリカの国威発揚の好機だった。一方、アジアでは朝鮮半島と満州の権益をめぐり日本とロシアが対立、1904年に日露戦争がぼっ発した。
〔主要参考資料〕近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ

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