衰えないオリンピアン 1964年東京出場の4人に聞く 心のつながり大切に …:2018平昌(ピョンチャン)五輪・パラリンピック

コラム

衰えないオリンピアン 1964年東京出場の4人に聞く

心のつながり大切に 三宅義信さん

 ◇無理せず練習、今も現役
 77歳になっても筋肉質の体つきは変わらない。五輪の重量挙げで金メダル二つを手にした三宅義信さんは、今でも国内外のマスターズ大会に出場している。「現役」であり続けているからこそ元気でいられる。「読書でも映画でも、自分の好きなことをすること。でも体を動かさないと血の巡りが悪くなるからね」と声にも張りがある。

 高校で競技を始め、1960年ローマ五輪バンタム級で銀メダル。64年東京五輪にはフェザー級で臨み、日本選手の金メダル第1号となった。68年メキシコ五輪でも同級で頂点に立ち、銅メダルだった弟、義行さんとともに表彰台に上がった。

 引退後は自衛隊体育学校の校長などを務め後進を指導していたが、自身は「バーベルなんか全然触っていなかった」。だが、2014年にマスターズ大会出場を決意。20年東京五輪を盛り上げたいとの思いからだった。「(前回の)東京五輪では皆さんに大変お世話になった。何か恩返しをしたかった」。自分が大会に出れば競技の普及にも貢献できると考えた。

 週に2、3回のペースで練習を再開したものの、体は昔のように言うことを聞かない。朝、筋肉痛で起きられないこともしばしばだった。体への負担を減らすため、毎朝1時間ほど風呂に入りストレッチをするようになった。過去に胃がんの手術を3度受けた経験もあり、「あまり重い物を挙げて体を壊せば子どもたちに迷惑が掛かる」。決して無理はせず、練習中も欠かさず脈拍を測る。

 競技を続ける支えは「記録ではなく、心と心のつながり」。年を重ねても元気にスポーツに取り組み、「みんなで楽しく集まる。そこに奥さんや孫が来ることもある」と喜びを感じている。

 勝負にはこだわらないと言いながら、大会に出れば「表彰台に立って日の丸を掲げたいと思っている」。そう言って笑う顔に、昔のプライドが少しのぞいた。
 (2017年5月8日配信)

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