図解
※記事などの内容は2019年5月1日掲載時のものです
天皇陛下の即位を受け、皇位継承資格者は秋篠宮さま(53)、悠仁さま(12)、常陸宮さま(83)の3人だけになった。手を打たなければ、皇位継承資格者がいずれ不在になる恐れが否定できない状況だ。皇位継承を安定的に維持していくには打開策の検討が急務だが、女系天皇容認論の再燃を警戒する安倍政権の動きは鈍い。
政府は1日、天皇陛下が皇位の証しとされる剣や勾玉(まがたま)などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」を挙行。成年男性皇族2人が同席する中、女性皇族は一人も姿を見せなかった。皇位継承の中心儀式に女性皇族が立ち会えば、女系天皇容認につながりかねないとの保守派の懸念に対する配慮も背景にある。
皇位継承の安定化は2000年代初頭に盛んに議論されるようになった。皇室典範は、父方をたどって天皇と血統がつながる男系の男子が皇位を継承すると定めるが、当時の皇室では1965年の秋篠宮さまを最後に長く男子が生まれていなかった。このため、関係者の間で皇位が断絶しかねないと危機感が強まった。
こうした中、小泉内閣の有識者会議が05年に提唱したのが女性・女系天皇の容認だった。47年制定の皇室典範が規定する皇位継承資格は、それまで可能だった婚外子即位の道も閉ざし、歴史上、最も門戸が狭い。一方、日本社会で進む少子化の波は皇室にも押し寄せる。
有識者会議は報告書で、こうした事情に触れながら、「一組の夫婦の出生数が2人を下回れば、男系男子は世代を追うごとに減少し続ける」と警告。女性の社会進出も考慮しつつ、「皇位の男系継承を維持することは極めて困難。女性・女系天皇への道を開くことが不可欠だ」と結論付けた。
これに異論を唱えたのが保守派だった。当時官房長官だった安倍晋三首相も、その一人だ。史上数人いる女性天皇はともかく、全く例のない女系天皇は皇室の伝統に反すると批判。代わりに47年に連合国軍総司令部(GHQ)の指令で皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰を主唱した。
しかし、旧皇族は約600年前の室町時代までさかのぼらなければ今の皇室と共通の祖先にたどり着かない遠縁。国民の理解を得られないとの声は強かった。議論が行き詰まる中、06年に悠仁さまが誕生。第1次安倍政権が発足すると、安定継承の議論は立ち消えになった。
女性皇族は一般男性と結婚すると皇籍を離れるため、皇族が将来ほとんどいなくなり、皇室活動に支障が出るとの懸念も現実味を帯びる。野田政権は女性・女系天皇の議論とは切り離し、女性皇族が結婚後も皇籍に残る女性宮家創設に限って議論を進めようとしたが、第2次安倍政権発足でこれも棚上げになった。
国会が一代限りの天皇退位を認めた際の付帯決議は、皇位継承の安定化を「先延ばしできない」と指摘。速やかな検討を求めた。
だが、政府は「慎重かつ丁寧な検討が必要」との姿勢を崩さない。菅義偉官房長官は1日の記者会見で「まずは天皇陛下の即位に伴う一連の儀式がつつがなく行われるよう全力を尽くす」と表明しており、着手は早くても秋以降になる見通し。政府関係者は「検討を始めても、ふりだけ。結論は数十年後だ」と語った。
新着
会員限定