図解

【図解・社会】天皇陛下の即位後の歩み(2019年2月)

天皇陛下の即位後の歩み

象徴像、模索の30年=全国2巡、人々に寄り添い-天皇陛下

※記事などの内容は2019年2月25日掲載時のものです

 激戦地での深い黙とう。膝をつき被災者と対話-。象徴天皇制を定めた現行憲法下で初めて即位した天皇陛下は、象徴の望ましい在り方を模索しながら、国民と共に歩まれてきた。退位まで2カ月余り。全身全霊で公務を全うし、皇太子さまにバトンを渡す。

 ◇戦争の風化懸念

 「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」。陛下は2018年12月、85歳の誕生日を前に、記者会見で自身の半生を回顧しこう述べた。太平洋戦争末期、静岡・沼津、栃木・日光と疎開先を転々とし、11歳の夏に奥日光で終戦を迎えた。1945年11月に帰京し、一面の焼け野原となった首都の姿に衝撃を受けた。
 戦争の風化を懸念する言葉を繰り返し述べ、戦後の節目には皇后さまと国内外の激戦地に足を運んで戦没者を慰霊。苦難の歴史を歩んだ沖縄は通算11回訪れ、多くの琉歌も詠んだ。18年12月の会見では「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と声を震わせた。

 ◇床に膝つき対話

 91年の長崎県の雲仙・普賢岳噴火、93年の北海道南西沖地震、95年の阪神大震災、11年の東日本大震災-。平成時代、日本は数多くの災害に見舞われた。天皇、皇后両陛下はその都度、被災地に入り、膝をついて被災者と向き合った。
 91年に両陛下を迎えた鐘ケ江管一・元島原市長は「まさか床にお座りになるとは夢にも考えなかった」と話す。年を追うごとに、困難に直面した人々に寄り添う「平成の皇室」を象徴する姿と受け止められるようになった。
 東日本大震災後には7週連続で被災者を見舞い、18年も西日本豪雨や北海道地震の被災地に足を運んだ陛下。「数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」と平成を振り返った。

 ◇福祉施設重ねて訪問

 「障害者をはじめ困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました」。両陛下は結婚直後から、国内各地を訪れた際にその地域の福祉施設を訪問。即位後はこどもの日と敬老の日、12月の障害者週間に合わせ、都内などの福祉施設に足を運んだ。
 ハンセン病療養所は皇太子夫妻時代から訪れ、全国14カ所全ての入所者と面会した。13年に訪れた熊本県水俣市では水俣病患者や遺族と懇談し、「真実に生きることができる社会をみんなで作っていきたいものだと改めて思いました」と述べた。
 こどもの日と敬老の日に合わせた施設訪問は、15年から皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が受け持ってきたが、代替わり後は新天皇、皇后が引き継ぐことになった。皇太子ご夫妻の側近は「お二人は以前から社会的に弱い立場にある人々を気に掛けられている」と話す。

 ◇次世代に思い託し

 陛下の即位後の外国訪問は計20回、36カ国に上る。92年には歴代天皇として初めて中国を訪問。晩さん会で、日本が中国に多大の苦難を与えた不幸な一時期があったとし、「私の深く悲しみとするところ」と述べ、戦争のわだかまりが残る中国との友好の礎を築いた。
 17年にはベトナムとタイを訪問。同年12月の会見で「プミポン国王(16年10月死去)との長い交流の日々を懐かしく思い出しながら、最後のお別れをいたしました」と振り返った。在位中の外国訪問はこれが最後となる見込みだ。
 陛下は17年11月の鹿児島県訪問で、即位後の全都道府県2巡を果たした。今年4月10日に結婚60年を迎え、30日に退位する。18年12月には「天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と次世代への思いを口にした。「天皇としての旅」は間もなく終わる。 

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