図解
※記事などの内容は2019年4月2日掲載時のものです
5月1日施行の新元号「令和」について、政府は1979年制定の「元号選定手続」に基づき選定したと説明している。しかし、説明の内容は実態と乖離(かいり)しており、将来の改元に向け、選定過程の透明化を求める声も上がりそうだ。
政府の表向きの説明によれば、政府が元号選定手続に基づいて動き始めたのは3月14日で、この日に元号候補の考案を有識者に初めて委嘱した。候補が集まると、菅義偉官房長官は(1)書きやすい(2)読みやすい(3)俗用されていない-など6条件を基に整理し、安倍晋三首相に報告したとされる。
首相は4月1日のテレビ番組で、菅長官からの3月の報告の中に令和があったとし、「大変新鮮な響きがあると思った」と語った。
残りの手続きを進めたのは4月1日。菅長官は午前9時11分に横畠裕介内閣法制局長官の意見を聴いて原案数個を選び、同11時25分までに、有識者懇談会、衆参両院正副議長からの意見聴取、全閣僚会議、閣議を一気に行った。いずれの場でも令和への異論はなかったと説明している。
しかし、関係者の証言を総合すると、実態は異なる。
政府は、はるか以前に有識者に元号候補の考案を非公式に依頼。100に迫る候補を官房副長官補室の金庫で代々保管し、考案者が亡くなるたびに新しい候補を補充してきた。これらを精査し、原案を六つに絞り込んだのは4月1日ではなく先週だった。
さらに、首相は2月以前に元号候補を見せられ、意中の元号案を事前に固めていたのではないかとの見方が政府内では強い。令和に異論はなかったとの説明に反し、野党出身の郡司彰参院副議長が、意見聴取の場で「季語の入った万葉集(を典拠とする案)はどうなのか」と疑問を呈したことも分かっている。
1989年の前回改元の際も、政府は極秘に作業を進め、1月7日に一気に「平成」を選んだ。しかし、これは昭和天皇が7日朝に逝去するまで「死を前提にした作業」を公にできなかったからだ。今回は憲政史上初の天皇退位に伴う改元で、前回とは事情が異なる。
菅長官は2日の記者会見で、選定過程が不透明との指摘に対し「元号制定手続に基づいて行っており、批判は当たらない」と反論したが、与党からも「なぜあれほど隠す必要があったのか」(公明党幹部)と疑問の声が出ている。
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