図解
※記事などの内容は2018年7月6日掲載時のものです
オウム真理教の元代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の確定判決で認定されるなどした地下鉄、松本両サリン事件と坂本弁護士一家殺害事件の経過は次の通り。
◇坂本弁護士一家殺害事件
坂本堤弁護士=当時(33)=は1989年5月ごろから出家信者の親の依頼を受けて教団と交渉し、被害者の会設立を支援するなど教団に批判的な活動をしていた。松本死刑囚は、教団の勢力拡大に打撃を受けると考え、同11月、故村井秀夫幹部らに坂本弁護士殺害を指示した。
村井幹部ら6人は同月4日未明、横浜市磯子区のアパート一室に侵入し、坂本弁護士と妻都子さん=同(29)=、長男龍彦ちゃん=同(1)=をいずれも首を絞めるなどして殺害。3人の遺体は95年9月、新潟県、富山県、長野県の山中から相次いで発見された。
◇松本サリン事件
教団は長野県松本市に教団支部を建設しようとしたが、反対派住民が起こした訴訟により、規模縮小を余儀なくされた。住民や長野地裁松本支部の裁判官に反感を抱いた松本死刑囚は、生成したサリンの殺傷力を確かめようと考え、村井幹部らに裁判所への噴霧を指示。村井幹部ら7人は94年6月27日夜、裁判所宿舎近くでサリン噴霧車を作動させた。住民8人が犠牲となり、約140人が負傷した。
当初、第1通報者の河野義行さんが疑われ、県警が殺人容疑で河野さん宅を家宅捜索した。県警は95年6月になって「河野さんは事件と無関係」とする見解を発表。2002年7月に県警本部長が初めて謝罪した。
◇地下鉄サリン事件
95年2月に教団が起こした目黒公証役場事務長仮谷清志さん=同(68)=拉致事件で、警視庁による教団への強制捜査が現実味を帯びてきたことから、松本死刑囚らは強制捜査を避けるために地下鉄にサリンをまくことを計画。95年3月20日朝、元幹部5人が営団地下鉄(当時)霞ケ関駅を通る3路線の五つの電車内で、サリン入りの袋に穴を開けて散布した。乗客と駅員13人が犠牲となり、5800人以上が負傷した。
警視庁は同22日、仮谷さんへの逮捕監禁容疑で教団施設を一斉捜索。5月には山梨県旧上九一色村の教団施設に潜伏していた松本死刑囚を発見し、地下鉄サリンの殺人容疑などで逮捕した。
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