図解
※記事などの内容は2020年1月29日掲載時のものです
日銀は29日、2009年7~12月の金融政策決定会合の議事録を公表した。民主党政権による「デフレ宣言」は金融緩和を求める声を勢いづかせ、日銀を追い詰めていく。議事録からは「デフレという言葉の持つ魔力」(白川方明総裁=肩書は当時、以下同)を恐れ、批判にいら立つ政策委員の姿がうかがえる。
「緩やかなデフレ状況にある」。菅直人副総理兼経済財政担当相は11月20日、物価が持続的に下がるデフレ状態だと宣言した。
日銀はこの時期、世界経済が前年のリーマン・ショックの混乱から持ち直しつつあるとして、景気判断を徐々に上方修正。社債などの買い取りを年末で終えることも決めた。
しかし、10月30日の決定会合で消費者物価指数(CPI)の前年度比のマイナスが11年度まで続くという予測を出したのを機に、これを「デフレ」と呼んで問題視する声が急速に拡大。「金融緩和が不十分」とみる政治家、学者らがメディアで日銀批判の大合唱を繰り広げていた。
宣言の日、日銀の会合では現状をデフレと呼ぶべきかをめぐって激論が起きる。「誤解を生みかねない」「言葉が独り歩きしてしまう」。議論が白熱する中、白川総裁は「インフレという言葉もデフレという言葉も、実はできるだけ使わないようにしている」と語り、デフレと口にすることへの抵抗感を吐露する。言葉の「魔力」が企業などの心理を冷やし、必要とは思えない緩和を強いられると恐れたようだ。
だが、直後に起きた中東ドバイ発の円高・株安にも背中を押され、日銀は12月1日の臨時会合で追加緩和に踏み込む。
決定は全会一致。それでも、委員からは恨み節が漏れた。須田美矢子審議委員は「デフレスパイラルの話ばかりがテレビなどで議論されている」と指摘。報道のせいで人々が不安になり、経済悪化のリスクが生じたと力説した。同月18日の会合でも野田忠男審議委員が「テレビなどを見ると、取材方針、インタビュー、出てくる人、答えを(報道側が)意図的に選んでいる」と憤った。
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