図解
※記事などの内容は2019年12月30日掲載時のものです
日経平均株価が3万8915円の史上最高値を付けた1989年(平成元年)の大納会から30年。元号が改まった令和元年の2019年は、2万3656円(30日終値)で1年の取引を終えた。日経平均はバブル崩壊、リーマン・ショックを乗り越え、ピークの6割の水準まで回復したが、高値更新を続ける米国市場を横目に勢いは鈍い。世界的な金融緩和、カネ余りでも上値の重い株価は、高齢化の重しを背負った日本経済を象徴するかのようだ。
▽もうけるなら株
80年代後半のバブル絶頂期、日本中が株高に沸いた。「日経平均は10万円まで上昇すると疑わなかった」「交際費で一晩に100万円使った」。バブル期の証券業界の活況ぶりを示す逸話は多い。当時の東京証券取引所は「場立ち」と呼ばれる担当者が手サインで顧客の売買注文をさばき、1階の取引フロアは人でごった返していた。
現在、取引所にかつての面影はない。売買注文はコンピューターを通じて処理され、電光ボードの株価だけが音もなく刻々と変化する。新人としてフロアで売買伝票をやりとりしたSMBC日興証券の太田千尋投資情報部部長は「隔世の感がある」と振り返る。
東京都板橋区に住む50代の会社員横田隆久さん(仮名)は入社間もない89年に親から借金して日本航空株を購入した。「手っ取り早くもうけるなら株という風潮だった」と横田さん。翌90年も「銘柄によっては値上がりしていた」ことから売買を続け、バブル崩壊後の暴落を経験した。
▽「2000万円問題」が契機
バブル崩壊後の日本は不良債権処理に悩まされた。「失われた20年」と呼ばれた経済の低迷が続き、日経平均は09年3月にバブル後最安値(7054円)まで下落。東日本大震災も打撃となった。12年12月に発足した第2次安倍政権は経済成長を目指して「アベノミクス」を掲げ、日銀も大胆な金融緩和で応じた。株式市場に再び投資マネーが流れ込み、15年には日経平均が約15年ぶりに2万円台を回復した。
投資家の顔ぶれも変わった。経済のグローバル化を反映し、海外投資家の日本株保有率は90年度の5%弱から18年度には約30%に上昇。インターネット取引が普及し、老後資金の不足を指摘した「2000万円問題」を契機に若い世代の間で株式投資への関心が高まっている。
個人投資家向けセミナーを主催する資産デザイン研究所(東京)の内藤忍社長は「政府は当てにできず、自分で資産を守るしかないとの意識が高まっている」と指摘する。その中で、バブル期を経験した50代以上はこの先も株は上がると期待し、損を取り返そうとする人が多いという。一方、バブル期を知らない20代、30代は「ぜいたくな生活への憧れはなく、(将来に備え)淡々と金融商品を探している」と話す。
不透明感が漂う令和の時代、日本の株価が伸び悩む背景には、高齢化、世界的なIT革命で出遅れる日本企業の姿があるのは確かだ。同時に、株に過大な期待をせず、身の丈に合った運用に徹する新しい世代の投資家の存在もあるのかもしれない。
新着
会員限定