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球団譲渡が決まり、阪急ブレーブスとしての最後の試合を終えた後、手を振ってファンに別れのあいさつをする阪急の上田利治監督(手前)=1988年10月23日、西宮球場【時事通信社】
1970、80年代にプロ野球阪急の監督として黄金時代を築いた上田利治(うえだ・としはる)さんが死去したことが2日、分かった。80歳だった。徳島県海陽町出身。
徳島・海南高から関大に進み、村山実投手(のち阪神、故人)とバッテリーを組んで全日本大学野球選手権初制覇に貢献した。59年プロ野球広島に入団。肩を壊すなどして61年に引退し、24歳の若さで2軍コーチに就任。71年に阪急でコーチに就き、74年に西本幸雄監督の後任となった。豊富な知識と情熱で75年に初の日本一に導き、同年から日本シリーズ3連覇。パ・リーグでは4連覇を果たした。78年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦で本塁打の判定に抗議。1時間19分の中断を招き、日本一も逃して辞任した。
81~90年、再び阪急(89年からオリックス)監督を務め、84年にリーグ優勝。95年から5年間は日本ハムで指揮を執った。監督通算20年で1322勝1136敗116分けでリーグ優勝5度、日本一3度。2003年野球殿堂入りした