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1922年7月15日に共産主義を標ぼうする非合法政党として結成された。度重なる弾圧により壊滅状態に陥ったが、終戦後に出獄した徳田球一氏らが45年に再建。46年には中国から帰国した野坂参三氏が加わり、指導的地位に立った。
50年代初頭、党の路線がコミンフォルム(欧州共産党・労働者党情報局)から批判されたことをきっかけに、これに反論する「所感派」と、容認する「国際派」に分裂。激しい対立を引き起こしたが、再統一を経て60年代に宮本顕治書記長の下でソ連や中国からの干渉を排する「自主独立」路線が確立された。
70年代以降は「民主連合政府」樹立を目標に掲げ、国会内で一定勢力を確保。2000年代に入ってからは天皇制の存続を当面容認するなど現実・柔軟路線へかじを切った。15年の安全保障関連法反対をきっかけに他の野党との共闘を進める。
写真は東京都渋谷区千駄ケ谷の本部ビル=2005年2月3日 【時事通信社】