硫黄島の戦い 写真特集

1/24

スクロールで次の写真へ

 硫黄島は東京の南1250キロの洋上に浮かぶ東西8キロ、南北4キロの小さな火山島。太平洋戦争末期、この島を巡り、日米両軍が死闘を繰り広げた。写真は、米軍が上陸する直前の1945(昭和20)年2月初旬、米海軍の偵察機が撮影した硫黄島の全景[米海軍歴史センター提供]。写真の左下に飛び出たように見えるのが摺鉢山で、島の中央部には2カ所の飛行場も見える。
 硫黄島は、米軍がB29爆撃機の基地としていたマリアナ諸島と日本本土のちょうど中間地点にある。そのため、日本は防御拠点としてこの島を死守する必要がある一方、米軍はここをB29の中継基地にしようと進出の機会を狙っていた。45年2月16日、栗林忠道陸軍中将が率いる約2万人の日本軍守備隊が立てこもる硫黄島に、米海兵隊3個師団約7万人が上陸作戦を開始した。栗林中将は全島の地下に防御陣地を構築、各拠点をトンネルでつないだ。日本兵は無益な突撃を避け、米軍の隙を突いて地下陣地から攻撃するゲリラ戦を展開した。
 米軍は当初、硫黄島を5日間で占領する計画だったが、日本軍の組織的抵抗は1カ月以上続いた。米軍の物量に押され、日本軍守備隊は捕虜となった約1000人を除いて全滅した。ただ、米軍側の死傷者は約2万9000人(うち戦死約6800人)に達し、太平洋戦争で連合軍が反撃に転じて以降、米軍死傷者が日本軍を上回った唯一の戦いとなった(1945年02月撮影) 【時事通信社】

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ