アウシュビッツの記憶 写真特集

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 アウシュビッツ強制収容所は、ナチス・ドイツが1940年6月、ポーランド南部に建設した。本来の地名はオシフィエンチムだったが、ポーランドを占領したドイツがアウシュビッツと改名した。施設は順次拡大され、45年1月にソ連軍によって解放されるまで、ユダヤ人を中心に推定110万~150万人が殺害された。
 収容所に到着した子どもや高齢者、病人らは労働に適さないとして、直ちにガス室に送られて殺されることも多かった。居住環境は劣悪で、ユダヤ人とともに収容されたロマ人やソ連軍捕虜、同性愛者らの多くも強制労働や飢餓で死亡した。
 写真は解放から70年を迎えた収容所の正門で、当時のまま保存されている。鉄製のゲートの上にあるのは「ARBEIT MACHT FREI」(労働は自由をもたらす)と書いたドイツ語の標語(2015年01月17日) 【時事通信社】

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